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誰かと似た人

毎日顔を合わせる業者さんが、ニュースで目にする凶悪犯に似ていて困っている。

もうかれこれ十年来、我が社の受付に顔を出している。
窓口だけのお付き合いではあるが、気さくな人でたまに他愛のないおしゃべりもする。
我が社にとっては名乗る必要もないほど顔パスが有効な人で、ともするとうちの社員ですと名乗られても、そうでしたねなんて答えてしまうかもしれないくらい、日々当たり前に顔を見ている人だ。

ところが、である。
近年ある痛ましい事件を起こしたあの凶悪犯に、彼が似ているのである。

大勢の人を殺傷したあの事件。世間を震撼させ今なお裁判が続いている事件の犯人である。
生存者に最悪な傷の残し方をさせた、他人のわたしでさえもが憤りを覚え極刑を免れないであろう、いや是非そうあるべきだと机を叩いて訴えたいほどの残忍な犯人。

その人に、気前がよい、謙虚な彼が似ているのである。

犯行中に犯人の容貌が変わってしまい、その逮捕後の顔つきがその人の持つ良からぬものがにじみ出た最悪に近い方向のもののはずなのに、その顔がウチにくる業者さんに似ているのである。

阿修羅像のように何面もの顔を持つ人間の中で、最も醜悪な面を貼り付けた犯行後の表情。
テレビやネット写真でもう何度も繰り返し流れるから、自然とインプットされてしまっている。
生理的にも受け付けず、犯罪の残忍さやニュースでいわれている犯行の舞台などがその顔写真を目にするたびに一気に立ち上り顔を背けてしまう。

写真でさえ直視できないその顔が、毎日「こんにちは!」とさわやかな声でやってくるのである。

これは困った。
きっと一方的にこんなことを思われて、彼だって迷惑なはずなのだけれど。
まったく彼には罪はないのだけれど。

今のところ回避するすべはなし。
なんだかなあ。
時間が解決してくれるのかしらね。

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