人の価値

最近YouTubeを見ていると、さまざまな人が色々な達成や変化をしているので、こちらまで幸せです。

歴史だとか大きな視点で見れば、彼ら彼女らはただブームに乗れただけの存在に思うかもしれません。

実際にもてはやされるのは国を変えるような偉業を成し遂げたり、世界の謎を解き明かしたりする天才と呼ばれるような人たちなのだと思います。ブームの一歩外を出れば、YouTubeに興味のない人からはなにも評価されない人物に見えるかもしれません。

でも、僕はただ天才と呼ばれてるだけの人には全く興味がないです。

人間は自分のことを平均よりも賢いと思いがちになる性質があるそうです。もしかしたら、これを読んでいる人の中にも自分のことを賢いと思う人がいるかもしれません。ですが、僕は自分が賢いと分かるのは矛盾だと思うのです。もし自分より賢い人がいて、その人を本当に理解するのは不可能です。理解出来ないことは、別の言い方をすれば、存在しないのと同じです。ですから、主観的に見れば、誰の目から見ても自分より賢い人など存在しないのです。

フェルマーの最終定理がいくらすごいと聞かされても、理解できなければ、その賢さは分かりません。ましてその基礎となった谷山=志村予想なんて記憶にすら残らないでしょう。それより、最近有名な芸人の方が賢く見えるのが人です。理解できないものは存在しないことにして、主観が一番上になります。

いくら賢くても、存在しないことになるとしたら、人の価値はどうやって計れるのか。それは、その人が産み出したものだと思います。アインシュタインでさえも、その優しい人柄ではなく、相対性理論で価値を評価され歴史に残っています。人格は関係ありません。アインシュタインが仮に奥さんの名前を忘れる薄情な発明家だったとしても歴史に残ったでしょう。産み出したものが世間に広まったときに、その人の価値は産まれます。ですから、いくら天才でも、引きこもって何もしないのでは無価値です。

だとすれば、どれだけのドジをしても、人を幸せにする活動を続け、活躍しているYouTuberさんたちはとても尊敬に値します。彼ら彼女らの価値は、人を幸せにした回数と同じく、非常に素晴らしいです。

僕も見習わなければと思います。それには僕も人を幸せにし、それを自信に繋げられたらと思います。

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