見出し画像

悪魔が来りて笛を吹く

 いま筆をとってこの恐ろしい物語の、最初の章を書きおこそうとするにあたって、私はいささか良心の呵責なきを得ない。
 ほんとうをいうと、私はこの物語を書きたくないのだ。この恐ろしい事件を文字にして発表するのは、気がすすまないのだ。なぜならば、これはあまりにも悲惨な事件であり、あまりにも呪いと憎しみにみちみちていて、読むひとの心を明るくするところが、微塵もないからである。

試し読み

おいっす~!神谷美里です!
これは横溝正史の長編推理小説「悪魔が来りて笛を吹く」の冒頭です。
「金田一耕助シリーズ」のひとつですが、非常に重くのしかかる始まりですね。
そんな「悪魔が来りて笛を吹く」。決して楽しい物語ではありませんが、私の好きな小説のひとつです。

私にとって初めて「悪魔が来りて笛を吹く」という物語を知ったのは、古谷一行さんの主演で放送された1992年版のドラマでした。
焼け野原となった土地に孤立して建つ洋館は奇妙で、不気味な雰囲気がただよっていました。唯一焼け残った洋館に続くその一本道を、金田一耕助が歩いているところからはじまるのです。
うす暗いその冒頭は、まさに小説の冒頭の雰囲気そのまま。哀しく救いのない事件が始まろうとしていました。

この物語には、フルートの音楽が大きな役割を担っています。どの版かによって音色が変わるのですが、聴き手を深い恐怖と悲しみの淵に引きずり込む魔力を秘めています。それが物語の中で最も重要な要素であり、視聴者を哀しい物語の世界にいざなうのです。

1992年版の曲は、原作小説の設定に忠実な指運ではなかったそうですが、私にとっては異様さという意味で、そのバージョンの曲がダントツでした。
気になる方は、YouTubeなどで聴き比べ動画を検索してみてください。
きっとあなたも、このフルートの音色に憑りつかれてしまうでしょう。

映画・ドラマは原作と設定が異なる部分もありますが、映画・ドラマはどれも作者・横溝正史が小説冒頭で述べた通り、「恐ろし」く、「悲惨」で、「呪いと憎しみにみちみち」ていて、「読むひとの心を明るくするところが微塵もない」話なのです。
それでも不思議なことに、「悪魔が来りて笛を吹く」は何度も読み返してしまうし、何度も観返してしまう。まるで自分もその世界に存在し、その事件を経験したかのように感じてしまうのです。

人間の浅ましさが肌で感じられ、風が吹けば桶屋が儲かるがごとく積もり廻ってとんでもない大事件となってしまう。それは教訓的でもあり、時代的な側面も多分に含まれていたと思います。
実際、横溝正史は女性に対して無体を働く男性の姿を度々作品に書いており、「病院坂の首縊りの家」などはその代表ではないでしょうか。女性の立場の弱さ、今であればただの1㎜だって許されないであろうその行い。そういった、起こるべくして起こった事件ともいえる、人間の悪しきところを存分に見せつけて、本当に怖いのはなにものでもない人間なのだと思わせるほど、金田一耕助シリーズはただのミステリーとして済ませるにはあまりにも哀しい話が多いのです。

金田一耕助が推理を話し終えた後に語られる犯人の思いや真実、そして関係者がのちに語る言葉。
横溝正史・作 「悪魔が来りて笛を吹く」は2018年に新しいドラマにもなっています。
気になった方はぜひ、小説やドラマ、映画でふれてみてはいかがでしょうか。

:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・☆スキ・コメント、お願いします☆
神谷が気になって応援したいな~と思った方、
ぜひメンバーシップをご検討ください♪♪
:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・:.。..。.:+・゚・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?