神となる御霊
神道のお勉強という訳で、神話の神様をお祀りすることが=神道という考えの方が多いので、今回は記事にしました。
これは厳島神社崇敬会だけの特殊な考え方ではなく、全国一般的な教えであり、たまたまコチラの崇敬会では、きちんと一冊の小冊子にまとめられ神葬祭のことなど詳しく書かれています。
どこにおいても日本は、自然崇拝と祖先崇拝の二つの理念を基に継承文化が育まれてきました。
明治政府の一神教政策によって、幽斎神事や神葬祭などの夜に行われる神事を廃止され、夜の境内を灯す灯篭も使われなくなり。
さらにGHQの政策によって、神社で集会を開くことが出来なくなり神道については話すことも禁じられてきました。
このような歴史背景から、神社には「家族が亡くなった忌服期間は神社に入ってはいけない」という近代の考え方になりました。
※神道だけではなく「道」と付く、柔道・茶道・書道・華道・武道などすべて、GHQによって禁止されていた時代があったのです。今こうして残っているのは、民間の習い事として残した人々の努力の賜物なのです。
そして亡くなった時の神葬祭(幽祭)は神社で行われなくなり、仏教式による葬儀の方が親しまれるようになってしまったのです。
またこのようなことは本来の在り方に正すことによって、日本の文化の継承はできることですが、明治政府が政策として立ち上げた神社庁は、それまでの文化を一新するために立ち上げられた機関であり、ほぼ明治の時代にそれぞれの地域で土着信仰として親しまれた祭りや文化は、斎主家系の解体により同時に失われてしまいました。
継承文化を解体し、一神教政策による祭神入れ替えを行った機関が全国の神社を監督しているわけですから、古式伝統を重んじる古風な考えは風前の灯火となっております。
私は、土着に残る痕跡を発掘するように断片を繋ぎ合わせることで、大事なことを未来の子孫に遺せるのではないかと思い日々勉強しております。
※一神教政策による祭神入れ替えは、主に土着の珍しい名前の祭神や、物部のニギハヤヒなどの祭神を、すべてアマテラスやスサノオなどの神話の神々にする政策でした。
日本の教えが失われつつある現代の日本に、本当の教えが甦りますように。
〈春分や秋分の日とは〉
本来は、古来から春季祖霊祭と秋季祖霊祭が行われていました。
(春季皇霊祭・秋季皇霊祭)
万葉集の時代には日本に初めて訪れた僧侶が、この日本の風習を見て「死んだ人を神様として祭りを行うとは、なんと珍しい民族だ」と当時の驚きを歌にしているそうです。
それが現在では、春の彼岸として春分と名付けられ、秋も同様に秋分の日になりました。
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