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大人になるきみへ④ 自分の障害について考えたことがありますか?

★★★『大人になるきみへ』というのは、帝京大学病院難聴児親の会のメンバーが、5年間話しあい、知恵を出し合って執筆し制作した小さな本です。幼児期の言語指導を終えて、これから思春期を迎えようという難聴の子どもたちに向け、ああでもない、こうでもないと言い合った挙句にたどりついた11本のメッセージ。
最初のメッセージは「自分の障害について真剣に考えたことある?」という問いかけです。障害について整理をして考え、受け入れる。親も本人である子どもも、それなくしては前に進めない、とても大切なことだと思うのです。★★★ 

自分の障害について考えたことがありますか?

きみは、これまでに、自分の障害についてじっくりと考えたことがありますか?
なぜきみは耳が聞こえないのでしょう。耳が聞こえないとは、いったいどういうことなのでしょうか。もし、他の人と同じように耳が聞こえているとしたら、きみはどういう生活を送っているのでしょうか…。

「まったくうるさいなぁ。いいんだよ、どうせぼくは耳が聞こえないんだから」なんて言わないで、ちょっとの間、付き合ってください。

私たち人間は、障害があろうとなかろうと、誰もが、できるだけ早く自分自身と向き合い、自分に問いかけ、自分について深く考えることが必要です。
「いったい自分は何者なんだろう」「なんで自分は生きているんだろう」。
こういう問いかけがあってはじめて、人は、大人への一歩を踏み出していくのだと言っていいでしょう。

自分について深く考察すること。自分にとっていちばん大切で、身近な自分という存在と仲良くなり、理解し、評価できるようになること。
これができれば、きみのパワーは100倍にも膨れあがります。

しかし、はっきり言って、この作業は決して楽しい作業ではないでしょう。
「自分が生きることって、何か意味があるんだろうか」なんて考えはじめると、暗い気持ちになって、自分の中のいちばん自信のない部分、目をつぶって触れたくない部分がやたらクローズアップされたりしますから。そのことがどうしようもない、イヤな欠点のように思えてきたりするものです。

だから、ここでは次のような手順で作業を行います。
次々に心の中に浮かんでくる自分についてのマイナスの評価、例えば「自分は背が低い。だから男として見劣りがする違いない」「自分は運動が苦手だ。だからバスケット部のあいつと違って女にモテない」「自分は耳が聞こえない。だから聞こえるやつと対等な立場になんかなれっこない」というマイナスの評価(劣等意識という言葉に置き換えることもできます)
を一つ一つ吟味します。
それから、その評価が正当かどうかを考えてみる。(だいたい、劣等感というのは検討はずれな場合が多いものです。)
そして、そのマイナスの評価について常に客観視できるように、自分の気持ちをコントロールします。

つぎに、今度は、自分に対してプラスの評価をしてみる。これは大切なことです。
「自分のいいところって、いった何だろう」と、とことん考える。
いいえ、そんなにとことん考えるまでもなく、きみのいいところって、たくさん見つかるはずです。この際、障害なんて関係ありません。ここで謙遜する必要はないのです。

こうして、自分のことをよく吟味し、人間の価値について、障害について考えることで、きみは自分の存在理由・価値を見つけることができるでしょう。自分自身の人生を歩き始めることができるでしょう。

それに、話は変わりますが、聴覚に障害があることで人より劣っていると考えるなんて、ちょっと違いますよね。
耳が聞こえないことは、聞こえる人より「劣っている」のではなく、聞こえる人と「違う」点なのです。ただ、違っているというだけで、決してマイナスとして考える必要はないのです。
ここが大切。
そりゃあ聞こえないことはずいぶん不便なことだし、きみは聞こえないことで損をしているかもしれません。
だからといって、それで人間の存在として劣っていることにはならないでしょう。

(だって、背の高い人が高いところの物を苦もなく取れるのに比べたら、背の低い人は絶対不利。運動会では足の速い人に比べたら、足の遅い人は絶対に不利。美人の横にいる不美人は、やっぱり絶対不利。不利だということからすると、ありとあらゆる場面で不利な人がいるものです。
だからといって、その人が人間として劣っているということにはなりません。
耳が聞こえないことは不利だけど、人より劣っているわけではないのです。きみだってそう思うでしょう?

それに背の低い人だって、椅子か何かに乗れば高いところの物を取ることができるし、足が遅い人でも、自動車に乗れば、いくら相手が走るのが速くたって問題にはなりません。
不美人だって性格の点からすれば、絶対有利だったりするかもしれません。

要は不利な立場に固執しないで、発想を変え、条件を変えて、不利な立場に身を置くことを止めればいいのです。
耳が聞こえなければ、文字で情報をキャッチする。自分なりの情報ネットワークを張り巡らして、いち早くいろんな情報をキャッチすることは可能です。
それから手話を覚え、手話を使うことでコミュニケーションをスムーズにする。
いろいろなやり方で不利を不利でなくすることができるはずです。)

もっとも、耳が聞こえないというのは、コミュニケーションから疎外されるという辛い状況を引き起こしがちです。耳が聞こえていたって話題に溶け込めなかったり、仲間に入れてもらえなかったりすることは、ままあることです。そういうときって、寂しいしつらく感じます。誰だって同じです。
ただ、そういう状況が、聞き取りがうまくいかないために起きてしまうことが、聴覚障害の困った点です。
こればっかりは、きみ自身の努力だけではうまく解決できないかもしれません。周りの人や社会全体で何とかしていく問題だとも言えるでしょう。

でも、そういう問題があることを伝えるのは、きみの役割です。
だって、それは自分のことなのですから。
自分の障害について、困る点や、こうしてほしいということを周りにアピールしていけるように、頑張っていってほしいものです。
そして、そのためには、もとに戻りますが、どうしても、きみ自身が自分の障害について考え、納得するという作業が必要になってきます。

それから、こんなふうに考えられるでしょうか?

もし、きみの障害が、きみが人より劣っていると考える理由になっているとしたら、
「いつまでも、耳が聞こえないことにとらわれているわけにもいかないだろうさ。その事実を変えるわけにはいかないんだから。
だけど、自分の中身なら、自分しだいでいくらでも変えられる。問題はけっきょく中身だ。自分にとって大切なのは、自分が聞こえないということではなくて、自分という人間がどのように考え、感じ、行動するかということ。それが大切なんだ」って。

『大人になるきみへ』1999年4月17日発行

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