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妊活中に響いた太宰治のコトバ


妊活中に響いた太宰治のコトバは、「私には誇るべき何もない。(中略)けれども苦悩はしてきた」・「人非人でもいいじゃない、私たちは生きてさえすればいいのよ」

この2つです。


病院の待っている時間って長いですよね。殺伐としたあの空気も苦手・・・そのおかげで、読書をする時間が増えたんです。


これまで気になっていて読んでいなかった「太宰治作品」を、読むことにしたら、学生の頃より、読みやすい自分がいて、より深く味わうことができて、「意外と読めた」というのが感想です。


今日は、太宰治のコトバに、心つかまれた「妊活中に響いた太宰治のコトバ」をシェアします。


「子どもができない自分」が、「何もない太宰治」と重なった


「私には誇るべき何もない。(中略)けれども苦悩はしてきた」


これは、『富嶽百景』に出てくる言葉です。


自分のことを、「先生と呼ぶ学生」に対して、謙遜していうんです。


詳しくはこちら。


「私には誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、”先生”と言われて、だまってそれを受けていいくらいの、苦悩は、経てきた。たったそれだけ。ひとすじの自負である。けれども私は、この自負だけは、はっきり持っていたいと思っている~(略)。」 

太宰治『富嶽百景』


太宰治は、多くの作品を残し、「才能」「人気」に溢れていたのではないか、というイメージだったんです。


今回、あらためて「太宰治作品」を読んでみて、太宰治は自分を責める傾向にあったんだと、自分と重なる部分をよく見つけました。


「人非人」という言葉、私のこと?と思うくらいジンときてしまった。


「人非人でもいいじゃない、私たちは生きてさえすればいいのよ」この言葉は、『ヴィヨンの妻』で、主人公の妻が言うセリフです。


人非人(にんぴじん)は、人でありながら、人の道から外れたことをする人のことを言うそうで、「人の道を外れたこと」をしているつもりはないけれど、「子どものできない私は?人間としてどうなの?」と、悩んだことがあるから、引っかかる言葉でした。


『ヴィヨンの妻』は、女を作ったり、酒を飲んだりしてダラダラした生活をする主人公(小説家)を救うために、妻が心から支えるといった内容です。


最後に、妻がいうそのセリフは印象的でした。


「どんなに人の道から外れたとして、生きていればいい」それが力強く伝わってきたんです。


2009年に松たか子さんが、「太宰治 生誕100年」を記念して作られた映画で、この役を演じていますが、かっこいいというのが素直な感想でした。



不妊治療で「与えられた時間」を、快適に過ごすのに、これまで読んでいなかった本・映画を見るのもいいなと思うのでした。


もしかしたら、昔のコトバが、あなたを救ってくれるかもしれません。