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日本神話と比較神話学 第七回 大悪魔の誕生 カグツチ、アングラ=マインユ、鯀

はじめに

 悪の存在はそれ自体一つの神学、弁証論の問題である。同様に神話においては悪の存在は悪神の存在という形で問われている。
 だが悪神とは何か。悪しき神であるとか、「悪」を司る神であるという答えは果たして我々を納得させるのか。
 たとえば、火の神は火という「もの」の神ではなく、火があるという「こと」の神または神格化である。「もの」すなわち、あの火やこの火といった、個別的な火を神格化した存在は精霊(火の精)と呼ばれる。民話でも樹木の精とされる存在は特定の樹木の神格化・人格化であり、それが宿る樹が朽ちるとその精霊も死に絶えるとされる。
 一方で火がある(存在する)という「こと」とは、この世界に火が存在するということである。火の神が火があるという「こと」の神格化であるとは、火の神が存在するということは、この世界に火が存在するということ等しいということである。同様に、火の神が生まれるということは、火が創造されたということに等しい。
 神話は明らかに神々の物語であって、精霊たちの物語ではない。火の神が生まれ、大地の神が生まれ、人間の神が生まれる神々の物語は、火が存在し、大地が存在し、人間が存在するということを語っているのである。
 ギリシアの哲学者・プラトンが論じた諸事物のイデアとは、個々に存在する椅子や机の原型であって、個物とは存在論的差異があるものの単なる論理的カテゴリーとしての一般概念ではなく、実体性を有したものとして考えられる。(種より上位のカテゴリーである類のイデアつまり実体性についてはその存在に疑念がなくもないがなくもないが、少なくとも初期のプラトンにおいては類に相当するイデアは想定されていないように思える。)このようなイデアとはつまり、神々そのものではないだろうか。
 悪神ということについて言いうるのはすなわち、それが悪しきものであるよりも、「悪の原型」「悪の起源」であるということである。
 

1 火盗みと土盗み

 創造神話と呼ばれる世界の始まりを語る神話の類型の一つに「潜水神話」と呼ばれる神話がある。典型的には下記のようなものである。

 世界の始まりでは一面に水が広がり、陸地はなかった。そこで創造神は陸地を創造するために、助手(アビやシギなどの鳥が多い)に命じて水の底から土を取りに行かせる。何度目かの挑戦で助手は土を取ることに成功するが、土の一部を口の中に隠して神に渡さない。神はそれに気づき助手に土を吐き出させるとそれが水の上に広がって人間が住む大地となる。助手は神に対して悪魔ともされる。

ユーラシア大陸北部から北米大陸に分布する神話

 谷野典之はその明快な論考の中で、湖北省神農架で伝承が一九八〇年代に確認された中国古代神話につながる叙事詩の中に、上記の潜水神話の存在を指摘した。以下は谷野による複数系統にわたる創造神話のまとめである。(叙事詩は複数系統が確認され、内容も複雑だが、下記は潜水神話に関わるエピソードとなる)

 天地いまだ定まらぬ混沌の時代、造物主が不思議な物体を発見する。それが天地の全てを発生させる凝縮された根源物質であることを見抜いた造物主は、助手を派遣してそれを取りに行かせる。ところが浪蕩(あるいは浪蕩子)がそれを横取りして呑み込んでしまった。浪蕩は造物主のもとに連行され、斬刑に処せられる死体は五つに分断され、そこから天地が化生した

谷野典之「湖北省神農架の漢族の創世神話 : 『黒暗伝』考」

 浪蕩の五つに分断された死体は、また五岳(中国で古来信仰される五つの霊山の総称)となったともいう。 
 潜水神話で助手または悪魔が、創造主または神から大地のもとになる土を盗むように、浪蕩は造物主から天地のもとになる「根源物質」を盗む。そしてこの妨害者から取り戻された土(根源物質)から人間の住む世界が創造される。以上のようにこの中国の民間に伝わる創造神話は明らかに潜水神話のモチーフを伝えている。
 さらに谷野によるとこの神話は中国古代の伝説的な王である堯帝の時代の、鯀の洪水神話とも共通するという。

 古代中国・五帝に数えられる堯帝の時代、鯀は堯帝から大洪水を治めることを命じられた。そこで鯀は帝は息壌(自然に増える土)を盗んで大水を塞いだ。帝は祝融に命じて羽山で斬刑に処した。後に鯀の子である禹は堯より禅譲(王の位を世襲せず、優れた人に譲ること)を受けた舜帝の時代、洪水を治めた功績で、舜帝より禅譲を受け夏王朝の祖となった。

山海経 海内経などより

 鯀が帝より盗んだ息壌は潜水神話の土、浪蕩神話の「根源物質」に相当する。さらにこの「土盗み」の処罰のため、浪蕩が造物主によって斬刑に処されるように、鯀も帝によって斬刑を受ける。たんに殺されるだけでなく、体が(刃物で)解体されるのは、「土盗み」たちの体内に隠し持った「根源物質」から世界が生成されるからであり、それが巨人・盤古の死体から世界が生成したという古代中国の盤古神話と関連する点まで、谷野は指摘する。(潜水神話ー浪蕩神話ー鯀神話ー盤古神話)

 以下では上記の極めて啓発的な議論を参照して日本神話を考察する。

 日本神話において潜水神話に最も近いモチーフは天と地の神々に地上の支配権をめぐる交渉(国譲り)を終えた後の次の一節だろう。

水戸の神の孫・クシヤタマの神は、国譲りの交渉を終えた後の天の神と地上の神の宴席で、鵜に化けて海に潜って水底の土を取ってきて、その土で皿を作り、さらにその皿で火を起こし、煙を立てて、その煙が天上から海底に至るまで届くように歌い上げた。天の神の使者であるタケミカヅチはそれを見受けて天の神々への報告のため天上へ帰っていった。

古事記

 しかしこの挿話自体は特に創造神話に関わらない。
 創造神話としての潜水神話に対応するのは下記の神話である。

国土と神々を生んだ神々の母イザナミは火の神カグツチを生んだ時の傷がもとで現世を去ってしまった。それに怒った神々の父イザナギはカグツチを斬り殺した。カグツチを斬った刀(イツノオハバリ)から飛び散った血は武神タケミカヅチなどイツノオハバリの子とされる八柱の神々となった。一方カグツチの死体から八柱また五柱の山の神(ヤマツミ。一説には火山の神)が生まれた。

 ポリネシア神話に現れる英雄神マウイは祖母神マフィカから火を盗んだという。ザイールに伝わる神話では動物の主トレの母マトゥから文化英雄が火を盗んだためにマトゥは死んでしまった。このようにいくつかの地域では火の起源が大地母神から盗まれた火に求められている。火の神カグツチを生んだことがきっかけで神々の母がこの世を去るという神話も、大地母神からの火盗みの神話に含まれるとされる。
 しかし、一方でそれに続く、「火盗み」に相当する悪神が切り殺され、その死体が複数の山になるというのは潜水神話に相当するモチーフである。(斬刑に処され五つに分断された「土盗み」の浪蕩の死体は天地のもと、あるいは五岳つまり五つの山になる)
 ここでは「盗まれた火」が大地の素材となる「盗まれた土」に対応している。というよりも、本来は「火盗み」と「土盗み」の神話は同一の神話だったのではないか。
 カグツチの神話は火山から流れ出る溶岩が固まって岩山を形成する過程の描写であるともいう。あるいは海底火山の噴火による島の形成かもしれない。大地から噴き出たマグマが溶岩となって流れ出て地形を形成する様子は、一方では海底からの「土盗み」による大地の形成であり、他方では地底からの「火盗み」による山々の生成だろう。カグツチ神話は両者が分岐する前の原型に位置していると思われる。

2 大魔王の誕生

 潜水神話における「土盗み」は「悪魔」の仕業であるともされる。創造神を妨害する悪魔のモチーフはゾロアスター教などの影響も考えられるが、むしろ、神話においては「土盗み」自体が「悪」として考えられているように見える。というのは同様に「土盗み」である鯀も、中国神話では他の怪物的存在とともに五帝である舜に誅された「四罪」の一角とされているからである。「火盗み」神話もまた悪に関わる。
 ギリシア神話の神・ティターン神族プロメテウスが人間に味方して最高神ゼウスに逆らい火を盗んだために肝臓を鷲に啄まれる刑罰を受けたことは有名である。日本神話で「火盗み」に相当するカグツチも「鎮火祝詞」では神々の母イザナミより地上に災害をもたらすことを懸念されている。

 ヤズィーディー教は一部のクルド人の間で信仰されている、民俗宗教である。その神話・信仰はおそらく原インド=ヨーロッパ語族の分岐以前にさかのぼるが、ゾロアスター教やイスラム教などの教義が混淆し、複雑かつ現在でも不明な点が多いものである。下記はヤズィーディー教徒の口承による伝承がおそらく二〇世紀に書物としてまとめれた神話の冒頭である。

世界の初め、創造神はAngarという鳥の背中に自らのエッセンスを込めた、世界卵となる真珠を置いた。やがて孵化した真珠から世界が生まれた。

ヤズィーディー教徒の経典「黒の書」

 イスラム教の影響で二元論的な構図は消えているが、鳥の背中に置いた真珠から世界が孵化するという神話は、鳥(悪魔)の盗んだ土(根源物質)から世界が生じたという「潜水神話」の痕跡ではないかと推察される。
 Angarという鳥の名はあるいはゾロアスター教の悪神「アングラ=マインユ」(マインユは「霊」)の「アングラ(Angra)」に相当するのかもしれない。アングラ=マインユも善神アフラ=マズダの世界創造の妨害者である。
 そうだとすると、現在伝わるゾロアスター教の神話には残っていないが、悪神アングラ=マインユにも「火盗み」=「土盗み」の神話があったのかもしれない。
 なぜ、「火盗み」が「悪」であるのか。つまり世界各地の神話の世界において「火の起源」が「世界の起源」であり、さらに「悪=罪の起源」であるのか。これに明快な回答を示すのは難しい。ここでは地上の火の起源が必然であるとともに、破壊的な地底の火の支配者である「大魔王の誕生」もまた必然であったと示唆するのみである。

おわりに

 大洪水によって人類のほとんどが死に絶え、ごく一部(山の上ともいう)に残った少数の人類から現在の人類が広まったという、いわゆる「洪水神話」は、その分布が世界的であることともによく知られている。洪水神話にはさまざまなタイプがあり、堕落した人間に神々が洪水をもたらしたとする懲罰型、神々や人間の闘争の結果洪水が起きたとする闘争型などに分類される。しかし、いずれにせよ堕落や闘争などの「悪」が洪水を引き起こした、逆に言えば、洪水が「悪」を一掃したというのは共通するようである。
 フランスの人類学者・レヴィ=ストロースは「親族同士の争いの結果、暴風雨によって一つの家を除いてすべての家の火が消えてしまった」という、南米アマゾンのボロロ族の神話を紹介し、他の地域の神話との比較から、この神話が空から降る水が地上から火を消し去る、「反ー火」の神話であると指摘している。
 この啓発的な考察を参照すると、洪水神話もまた、争い合う人間たちから洪水によって(明示的ではないが)火が奪われる「反ー火」の神話であるといえないだろうか。そして洪水神話が人類の「悪」を一掃する神話だとすれば、「反ー火」は「反ー悪」でもある。洪水を生き残った人類は現生する人類の起源であるように、水を免れた火は現存する火の起源でもあるだろう。

 神話における「悪」の問題の分析は困難であり、論じがたいがゆえに、再び、火の起源へと議論が立ち戻ったことを機として本論を終えよう。

参考文献

工事中


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