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感謝の本当の意味を

私は、人に何かをしてあげることが好きです。

と日頃よく言いますが、実は、別に好きではありません。

好きなのは、その人であって、してあげること自体は別に好きではないと思ってます。

スタッフの女性には季節ごとにプレゼントをしています。出張先で見つけた洒落た小物だったり、食べておいしかったものを取り寄せたり。

付き合う男性には頻繁にプレゼントをしています。季節ごとに、あの人こういう服持ってなかったなとか、靴が古くなっていたなとか、マフラーが古くなっていたなとか思い出すと、出張のついでに表参道や銀座などでショップをめぐって買ったりします。

もちろん、困りごとがあって相談されたときは、支援を断ることはしません。信頼している人や彼氏であれば、保証人にもなりますし、お金の援助もしています。お金の援助が必要になるような彼氏は今のところいませんけどね。

私自身も、他人からそうやっていろんなことをしてもらって生きてきました。
20代の初めにアキラ師という男性と知り合った頃は、彼はお金もないのに借金をしてまで私にいろんなことをしてくれました。

服や靴が買えないとなると買ってくれて、ごはんを食べに行っても割り勘は絶対しないで全部奢ってくれる、旅行も自宅からの交通費を全部持ってくれる。そのくせ、自分の車のタイヤはすり減っていたりしました。

私は、なぜ彼がそんなことをしてくれるのか、そこまでしてくれるのか、分からなかったんです。子供過ぎたんでしょうね。


こんなことを言ったことがあります。

「アキラは人に物をあげるのが好きなの?」

そうしたらアキラは呆れたように言いました。「そうだよ」
「そうなんだあ」と馬鹿な私は答えました(笑)

私も若かったのでいつの間にかそれが当たり前のような気がしていました。これも正確に言うと、当たり前とか当然とか思っているのではなく、「したくやっているのだからやらせておこう」という感覚なんです。
私に奢ったりしてくれたりするのが好きなんでしょ?どうぞどうぞっていう感じでしょうか。
どうでしょう、未熟な若い娘って感じでしょう?(笑)

彼はその後も本当にいろんなことをしてくれました。私が結婚してからもずっと、何かあるたびにしてくれています。私はもう自分で何でも買えるようになりましたが、名古屋に行けば名古屋のお菓子、チューリッヒに研修で行けばチョコレート、私もよく行くようなショッピングセンターですら美味しそうなの見つけたからって買って届けてくれたり。

彼はもちろん自分が付き合う女性にはもっとするでしょうし、仲間の男性同士でも、後輩にもそうしていると思います。

当然、みんな感謝しますよね。

感謝。

でもこの感謝、本当にこの言葉の意味を分かっている人は少ないと思います。

「してもらってありがとうと言うこと」が、感謝だと思っているとしたら、ちょっと感覚が小学生の「しつけ」レベルです。

大人の世界の感謝とは、ありがとうと言うことではないのです。

嫌いな親戚のおじさんがお年玉をくれたので、仕方なくありがとうと言った、くらいの感覚のまま30歳を迎えていると相当人生は苦労すると思います。

大人にとって「感謝」とは、
これをしてくれた人が、どんな気持ちでこれをしてくれたのか思いを巡らせること、なのです。

アキラ師以外にもわたしにいろいろしてくれる女性がいて、たまにおいしい炊き込みご飯を持ってきてくれたりします。
「ありがとう」とはもちろん言いますが、それじゃ感謝じゃないんです。

この女性は、私が離婚してから寂しいのを知っていて、自分のために食事を作るって意外と億劫でしょっていうメッセージを込めてくれているんです。たまに他人が作ったご飯を食べなさいっていう思いを込めているんです。

わたしが、「あざっす」くらいの軽い返事で食べていたら、きっと相手を不本意な気持ちにさせます。勝手に作って持ってきたんでしょ、食べてあげてもいいよくらいの気持ちでは、「感謝を知らない」と言われてしまいます。

感謝を知らないって、ありがとうと言ったでしょ、何を要求してそういうことを言うの?って私も感じていた時代がありました(笑)幼稚すぎますね。

そうじゃないでしょって言ってくれる人が私にいて、助かりました。

お礼の言葉なんて、どうでもいいんです。
それをしてくれようとした思いに、ちょっと寄り添ってみること、なのです。

そうしたら、俺は何を言うべきなのか、何をするべきなのか分かると思います。形だけのありがとーでも、あざっすでもなく、思いを込めて返す言葉があると思います。

それが出来ないことを「感謝がない」「感謝を知らない」「感謝をあだで返す」なんて言われてしまうのです。

それは彼氏や彼女、元カレや元カノのような関係だけじゃなく、関係が薄い職場の同僚とか上司からされても、
これをしてくれようとした思いをちょっと想像してみるといいと思います。

いやらしい意図は多くの場合はありません。
あなたがきちんと生きていれば、セクハラじみた好意を押し売りされることはありえません。

多くはあなたの人生に愛をこめて見つめてくれているのです。寄り添ってくれているのです。

そう考えられるようになったら、他人はあなたのことを優先順位の上のほうに常に考えてくれるようになります。


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