今日のあなたは明日の私

この週末は、玉置妙憂さんが主宰する大慈学苑の訪問スピリチュアルケア専門講座でがっつり座学。

スピリチュアルケアはオカルトで怪しい方のスピではない。
WHOの定義を意訳して、私なりに解釈するとこうだ。

健康を定義する上で大事な要素として肉体、精神、社会性の3つがある。
これにプラスして生きる意味や目的、尊厳などをざっくりまとめて「スピリチュアリティ」とする。
終末期をはじめ、肉体、精神、社会性の健康が保てない状況になると、人は「スピリチュアルペイン」を抱えるようになるため、そのケアが必要になる。

スピリチュアルペインのケアを支援するために、必要な技能を学ぶ講座はいくつかあるが、そのうちの一つとして妙憂さんの講座を受けている。
講座を受けて、どうしても忘れてはいけないと思ったことがある。

人は、本当に思ってることを言わない。

サービスを受けた時など、誰かから何かを受けた時、人は感想を訊かれたら「よかったです」と言う。
例え満足していなくても、だ。
場合によっては、訊かれなくてもポジティブな感想を言う。
その場で相手の気分を害したくないからだ。

あるいは、「逃げたい」「死にたい」のような、ものすごくネガティブな言葉を投げてくる人。
これらは、本当に逃げたかったり、死にたかったりする訳ではない。
もし本気で思っていたら、先に行動に移すはずだ。
ではなぜこんな事を言うのか?
それは、抱えているつらさを表現するのにピッタリな言葉が見つからないからだ。
言葉は心を表すには不十分なツールで、仕方がないからネガティブさを表す別の言葉をあてがおうとする。
だから、「死にたい」に対して「どうして死にたいの?」とか、「逃げたい」に対して「逃げたらどうなるの?」という返しは不適切だ。

本当に思ってることは、言葉にするとは限らない。
じゃあ、どうやってそれを推し量ればいいのか?

ヒントは「行動」だ。
例えば被支援者が「よかったです」と言っても、リピートして「来て下さい」と言われなければ、あまり良くなかった可能性がある。
ただし、即リピートするかどうかはわからない。
こちらが投げかけた言葉を、被支援者が受け取るのに時間が必要な場合もあるからだ。

ネガティブな言葉の真意は、その強さの表現だ。
「逃げたい」「死にたい」がつらさの比喩的表現なら、とにかくそのつらさを誤魔化さずに受け止めるしかない。
タフな作業だが、支援とはそういうことなのだろう。

支援をするということは、見返りを求めてはいけない。
やりがいなんてものは、ただの自己満足でしかない。
稀に「役に立てたかもしれない」と思えることもあるだろうが、あればラッキーくらいなもので、それを期待するのは間違いだろう。

社会貢献や社会福祉、ホスピタリティ、慈善事業。
どれをとっても、「感謝される」という形のやりがいを求めるのは間違いなのだろう。
本当に役に立てば立つほど、わかりやすい承認欲求は満たされない。
支援者側は「これでよかったんだろうか?」とモヤモヤし続ける。

では、支援者のモチベーションはどう保てばいいのだろう?
とても難しい問題だ。
わかっているのは、承認欲求をモチベーションにしてはいけないということだ。

「情けは人の為ならず」ー
支援者のモチベーションは、こういうことなのかもしれない。
英語には「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)という同様の語句があるそうだ。

被支援者は、明日の私。
多様性社会にも必要なこの考え方を、忘れずにいたいと思う。

豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。