全てはあらかじめ決まっている

こんな本をしばらく前に読んだ。

この本の言う心理学的決定論によれば、自由意志などなく、全てはあらかじめ決められているそうだ。

あらゆる外的要因で人は何を選択するか既に決まっている。
親ガチャは真実だろうし、私たちが自分で選んでると思っているあらゆる消費行動は行動心理学によって既に仕組まれたものなのだろう。

でも、全て決まっているから意味がないかというと、そんなこともないはずだ。

そもそも、人は必ず死ぬ。それはもうわかっている。
でも私たちは生きるのをそう簡単にやめたりはしない。

入学すれば卒業する。
何かをはじめれば、それはいつか終わる。
そうわかっていても、人は何かに取り組むことをやめない。
それがあらゆるレベルの選択(と思われる場面)で起こっているだけのことだろう。

昔「未来日記」というテレビ番組があった。
なんとNetflixで今年12月から新作が配信されるそうで、その番組ページから概要を引用する。

全く知らない男女へ日記が届けられ、そこには2人が恋に落ちていく未来が書かれている。信じられないような出会い、感動的な愛の告白など、非日常的でドラマチックな体験をしていく中で、男女は恋に落ちていくのか?そして最後の日記には「永遠の別れ」が書いてあり、未来日記で出会った2人は、未来日記で別れることが決まっている。

https://www.tbs.co.jp/mirai-nikki/

知らない人のために簡単に説明すると、20年ほど前にブームになった恋愛リアリティーショー番組である。
(この番組から福山雅治の「桜坂」がヒットしたりした)
男女はストーリー上大事な分岐になると日記を読むことになっており、その日記に書かれた通りに行動しなければならない。
一見役者がドラマを演じてるだけのように聞こえるが、出演している男女は役と自分自身が段々混ざってきてしまい、本気で泣いたり笑ったりするようになってしまう。
それを見る視聴者もまた、一緒に泣き笑いしてしまうのだ。

あらかじめ選択や結末が決まっていようと、私達はその時々に起こる出来事に気持ちを揺さぶられる。
決まった結末にどんな解釈をするか、それすら決まっているのかもしれない。
それでも感情は揺れる。

外的要因、言い換えれば広義での環境によって結末が既に決まっているなら、私たちは選択に責任を感じる必要もない。
だったらせめて、死ぬと決まっている時まで生きようじゃないか。
その時までどうしたら出来るだけ気分良くいられるか…?

私たちがやるべき事は「出来るだけ自分を取り巻く環境を良くすること」なのかもしれないなと思う。

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