ファッションと機根

「機根」という言葉を知ったのは、先月のSNS医療のカタチTVだ。
番組内の対談が素晴らしかったので、記事にしたものを貼っておく。

比叡山延暦寺の小鴨住職が語る「機根」という言葉がとても興味深かった。
引用してみる。

小鴨住職:機根。機会の機に、根っこと書きます。

何か学問を積んだとか経験があるとか、それだけではなく、今の精神状態や「この人が聞く体制に入っているかどうか」を含めて「機根」ですね。そういったことまで鑑みながら話さないといけません。

相手が大勢になればなるほど中庸な話し方になりますし、少なければ少ないほど突っ込んだ話になってくるでしょう。いずれにしても、相手を見ながら言葉を選んで話します。

お坊さんはお堂の説明や人のご案内も含めて機会も多く、話すのがまあまあ得意な人が多いんです。教えを分かりやすくしゃべるということに慣れているがゆえに、自分本位で話してしまうことがよくあるのです。

しかし本当に難しいのは、対峙して1対1で話すことだと思いますよ。その心に、いかに寄り添っていけるかということまで含めて考えて話をしなければなりませんから。

つまり、相手に合わせた話し方をしないとダメだということだろう。
当たり前だけど、これは意外と難しいような気がする。

私がやっているパーソナルスタイリストという仕事は、まさにこれが要求される。

ファッションなんて、自分の好きなものを着ればいい。
たったそれだけのことなのだけど、多くの人、特にファッションにやや苦手意識がある人は、ここに至るまでに様々な心理的段階を経る必要がある。

ファッションが苦手とはどういうことか?
原因は色々だけど、大きく分けるとこんな感じだろう。

①好きなものを着てたらバカにされたことがある
②無難でいようとして、極端に地味になってしまう
③ファッションに興味がないけど、ダサ目立ちしたくない
④好きなテイストが似合わない/似合わなくなった

理由に差はあるものの、こういう人は地味で無難な服を必要に応じて仕方なく買うしかない。
結果としてテンションの上がらない買物をし、仕方なく気に入ってもいない服を毎日着ることになる。

一方で、ファッション大好き!オシャレサイコー!みたいな人はさほど多くないはずだが、とにかく目立つ。
目立つから、なんとなく「オシャレって素敵」みたいな風潮になるけど、その実態は単なるファッションオタクだ。

厄介なのは、ファッションは趣味的要素だけでなく、身だしなみや印象に影響する。
それはつまり、社会で生きる上で必要なスキルでもあるということ。
必要だから何とかしようとするものの、必須な割に誰かが体系として教えてくれるシステムがないから、反動で苦手意識を持ったり、最悪嫌いになってしまったりする。

私は、パーソナルスタイリストはこういう人のための仕事だと思う。
オシャレが好きな人が、もっと詳しい「プロ」に頼むサービスみたいなイメージがあるけど、実際そうではない。
どちらかというと「料理下手のための家庭料理教室」の方がイメージに近いだろう。

料理が好きじゃなくても、ある程度の節約と健康のために家庭料理は作る必要がある。
でもどうせ作るなら、美味しく楽しく簡単にしたい。
それをファッションでやるのがパーソナルスタイリストだろう。
富裕層向けのスタイリストはまた話が違うけど、少なくとも私はそういうスタンスで仕事をしている。

話を元に戻す。
ファッションが苦手というクライアントに接した時、どの段階の話からすればいいのか。
「好きなもの着ればいいんですよ!」なんていきなり言っても、ほぼ真意は伝わらないだろう。

具体的に何に困ってるのか。
「○○に着ていく服がない」のか、「年のせいで好きな服が似合わなくなった」のか、あるいは「そもそも服を買うことが苦痛」なのか。
どの段階にいるのかに合わせて話し、スタイリングをする。
そのためには、クライアントが対峙してるあらゆるシチュエーションへの想像力と理解が必要だ。

ママ友の中で浮きたくない。
会社でみんなよりほんの少しオシャレだと思われたい。
オンとオフの区別をつけたい。
ちょっと背伸びしたパーティーにも出てみたい。

どれも、私自身は体験したことがない悩みだ。
でもそこでどれだけ想像できるか?
想像の基盤となる引き出しをどれだけ持っているか?
そこが大事になる。

相手の機根に合わせる。
どんな仕事でも本当は必要なことだろう。
でも、案外それは見落としがちなんじゃないだろうか?

豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。