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エピラ(13)男の家

前回のあらすじ

とある北の国と南の国の物語。足を負傷したシマテを救助した男は、エピラの医者だと名乗り、怪我が命に関わると忠告した書置きを残し、家を去る。家族で唯一読み書きができるニカは、第23集落の外れに住むという男を訪ねるべく、一人家を出て、無人のゲートにたどり着いた。

登場人物

ニカ: 南の国の第23集落に住む、12歳の女の子。
シマテ: ニカの父親。クル豆農家。第18集落で事故に遭い、左足を失う。
モカレ: ニカの母親。クル豆農家。
モアレ: モカレの母親で、ニカの祖母。足が悪く車椅子生活。
男:第23集落に住む、エピラと名乗る自称医者
シーラ: 第23集落の図書館の司書

用語紹介

エピラ:南国で生まれ育ちながら北国へ移住した人、北国へ移住したが南国へ出戻りした人を指す。

 針金が入ったような肩を、左右に揺らしながら、男はニカに歩み寄ってきた。

 ニカは振り向いた男の顔を見たまま、体が磔にされたように動かせなかった。

 昨日の夜、とつぜん父さんを担いで、現れた男。

 エメラルドグリーンの、万華鏡のような瞳は夜でも分かったが、くすんだグレーの髪には気づかなかった。日の光を浴び、銀色に鈍く光っている。

 無精髭の生えたあごと薄い唇は、笑っているようにも、怒っているようにも見える。

 男が歩くと、小道に生えている雑草が、いっせいに風にまかせて避ける。王様でも、王子にも見えない。けれど、歩くと目をそらせない。草が、道を作るように揺れる。

 ニカは、両足が宙に浮くような心地がした。

 逃げなくちゃ、と足だけは地面を離れようと試みたが、腹がすくんで立っているのがやっとだ。

 「来たのか」

 男は低い声で言った。

 「お前の父さんのことだろう」

 エメラルドグリーンの瞳が、細くなってこちらを見下ろしている。

 涼しい夏の夜の、三日月のようだ。

 いつも見ている、町の灯りが点火される夜の始まりを思い出して、ニカは頭の重みに任せてうなずいた。

 すると、男は黙って歩き出した。かたむいたゲートの前を通り過ぎ、崩れかけた煉瓦が、そのゲートの隣へ続いているのが見えた。今は跡形もないが、かつては鉄格子だけでなく、煉瓦の壁があったようだ。

 近づきすぎると男の背中に吸い込まれそうだった。

 だから、ニカは男のうなじが、ぼやけない程度に離れて後ろをついて行った。

 ほとんど石ころと化したような赤い煉瓦のかけらが、だんだんとどこかへ導くように道を描き出した。

 気のせいだと思っていた赤い線が、道になり、やがて大きなけやきの木にたどり着いた。

 ぼこぼこした表面で、いくつもの幹が真ん中の何百歳もするであろう太い幹に身を任せるように這って、やがて一つの大木に集合し、扇のように枝葉を伸ばしている。

 その下に、朽ちた木版と、その上から新たに貼り付けた板でまだら模様の小さな小屋が現れた。壁も屋根も、魚のウロコのように木版が重ねられている。それらはところどころ穴が空いたり、削れたりしていたが、ニカは図書室で読んだ絵本に出てきた、小人たちが暮らす家にそっくりな家に、思わず声を上げた。

 「わあ」

 男は、その声が聞こえなかったのか、気づいていないふりをしたのか分からないが、背丈に合わない赤い扉を開けて中に入った。男は身をかがめないと中に入れないのだ。そして半身だけ家の中に入れ、ニカの方を振り向いた。

 「入りなさい。もうすぐ雨が降る」

 男は、黙って扉を閉めずに待っている。

 ニカは生唾を飲み込み、男に言われるまま、家の中に入った。

 部屋の真ん中には、2つの椅子と、ニカが両腕を広げたくらいの幅の大きなテーブルが置いてあった。うす暗い。けやきの木陰になっているせいだろうか。

 床には見たことがない白い動物らしきものの刺繍が施され、赤と青とクリーム色の糸で幾何学模様が編まれていた。見たことのない柄だった。

 部屋の隅には古いロッキングチェアと、その向かいには、不自然に黒くて大きな四角い箱が置いてあった。オットマンだろうか、とニカは思った。

 自分以外の、誰かの家に入ることすら初めてで、口の中がカラカラだったが、今すぐ踊り出したくなるほどだった。

 扉と同じ色で赤い窓枠がはめられており、くすんだガラスに大きな雨粒が落ちてきた。

 けやきの影になっているのかと思ったが、ニカが男の背中ばかりに気を取られているうちに、空には分厚い雲が漂っていたらしい。

 男はランプに火を灯しながら「降ってきたな」と言った。

 (つづく)

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