エピラ(7)母の手と瞳

前回のあらすじ

とある北の国と南の国の物語。豆の行商の途中、立ち寄った酒場でエピラと口論になり、左足を負傷したニカの父・シマテはエピラを毛嫌いしている。過去、豆の生産量を増やせと交渉してきた商人たちがエピラだった。彼らとシマテが揉め、そのいざこざに巻き込まれたモアレは足を悪くしたのだった。

登場人物

ニカ: 南の国の第23集落に住む、12歳の女の子。
シマテ: ニカの父親。クル豆農家。第18集落で事故に遭い、左足を失う。
モカレ: ニカの母親。クル豆農家。
モアレ: モカレの母親で、ニカの祖母。足が悪く車椅子生活。

用語紹介

エピラ:南国で生まれ育ちながら北国へ移住した人、北国へ移住したが南国へ出戻りした人を指す。

 父親に胸ぐらをつかまれたニカは「しまった」と思った。ふたつの意味で。

 エピラについて、話をしようとするタイミングを間違えた。

 それに、言い方も、間違えた。

 シマテは、言葉は発さず行動で、ニカに意思表示することがほとんどだった。

 畑作業を手伝おうとすると、たいてい首根っこをつかまれて、畑の外へ放り出された。けれどニカは、シマテが遊んでくれているものと思って何度も畑の中へ戻って、手を叩いて笑っていた。

 ニカが行商へついていきたいと、モカレの足元からくっついて離れなかった時は、何も言わずにニカを部屋に閉じ込めた。泣き叫んでも、一切耳を貸さなかった。

 ニカは、シマテが何を考えているのか、推測することはできた。でも、それが正しいのか正しくないのか、確かめる術はなくて、しかもシマテと目が合わないままで言葉を交わす余地すらなかった。

 だから、ニカにはシマテの怒りの沸点が分からなかったし、シマテの行動に合わせて自分の振る舞いをコントロールするようになった。

 感情を率直に表すと、つまみ出されるかもしれない。

 言いたいことを言うと、また閉じ込められるかもしれない。

 とはいえ、我慢し続けられるほど、忍耐強くもない。シマテが畑にいるときは、放り出されないようにこっそりシマテの真似をしながら畑の土を掘り起こしたり、シマテが大切にしていた首輪が、いつも寝る前に寝室のすみにある机の上に置いてあることも突き止めたりしていた。

 胸ぐらをつかまれて、頭がぐわん、と動いたせいで首の後ろが鞭打ちになったように痛む。モカレはニカを部屋に抱き抱え、ベッドの上に寝かせた。

 「大丈夫かい」

 しわしわの、太い指。母の手に包まれている間は、ニカは絶対に安全だと信じることができた。

 「父さん、疲れて頭がおかしくなっているんだよ。許してやっておくれ」

 母さんも行商で疲れているだろうに、家族の米を炊いている。なぜわたしが父さんを怒らせたのか、聞かないのか。なんでもお見通しなのだろうか。

 「エピラのことは」

 モカレは、シマテと違ってニカから目を離さない。どんなに自分に非があっても、気まずいことがあっても、目をそらさない。その強さを前にすると、ニカだけでなくシマテも、ときどき動けなくなる。

 「父さんの前ではあまり話さないほうがいいね」

 「どうして?」

 「話したくないこともあるんだよ」

 「母さんは」

 ニカは頬に置かれた母の手に自分の手を重ねた。

 「エピラが本当に悪いと思う?」

 モカレは、やっぱりじっとニカを見つめている。深い、赤茶色の、溶け出す前のマグマのような瞳だ。

 ニカも、目をそらさない。そらせない。モカレはしばらくそうしていたが、何も言わずにニカの手をニカの胸元に置き

 「ごはんが炊けたら呼ぶからね」と言って寝室を出て行った。

(つづく)

余談

 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。以下の有料エリアでは、物語を作る際に、ぼんやり考えたことや裏話などを書いています。ほとんど雑談です。マガジン「アトリエ ウラリンナンカ」をご購読いただくと、すべての創作メモが閲覧可能です。
 今回は、この小説『エピラ』というタイトルの由来です。

ここから先は

553字

¥ 100

読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。