エピラ(2)旅の疲れ
前回までのあらすじ
とある北の国と南の国の物語。ニカは南の国に暮らす女の子。豆農家の両親は行商のため、家を空けることも多く、その日も2ヶ月ほど不在にしていた。豆畑で作業をしていると、遠くから荷車を引いて歩いてくる母・モカレと父・シマテを見つける。ところがよく見ると、シマテの片足がなくなっていた。
「父さん!」
ニカは、片足を引きずりながら支え棒を使って歩く父親の元に駆け寄った。
「ニカ」
「どうしたの、何があったの」
うわずる声のまま、ニカはシマテの腕を肩に担いだ。
「おれより母さんを手伝ってやってくれ。荷車に食料が積んであって重たいんだ」
モカレが荷車を引く両手には、赤いマメがいくつもできていた。ニカは後ろから荷車を押し、家までのゆるやかな坂道を上がった。シマテは、あちこちに転がる小石に支え棒が引っかからないよう、慎重に片足をつき、一歩ずつ荷車の後を着いてきた。
ニカが戻ってくるのが遅いのをおかしく思った祖母のモアレは、シマテが数年前に作ってくれた木製の車椅子に乗り、外へ出た。汗でべったりと額に張り付いた前髪をかき分けながら登ってくるモカレと、片足を引きずっているシマテの姿を見つけ、モアレは息を呑んだ。
ニカは荷車から、米が入った大きな袋をいくつかと、両手にかかえきれないほどの鮮やかなくだもの、米袋と変わらないくらいの大きさの束になった葉物野菜を何束か、クリーム色の麻の反物を一巻き、青や赤、緑などくだものに負けない色が散りばめられている綿の反物を三巻、降ろして家の中へ運んだ。どれもこれも、クル豆の行商でモカレとシマテが訪れた、第10集落から第20集落で購入したものだった。
いつもなら、ニカは土産物をもらうのを楽しみにしていた。砂浜に落ちていたサクラ色の貝殻や、太陽に照らすと玉虫色に光る蝶の羽、川下に流れ着いた丸くてツルツルした豆のような白い石、血のように赤く艶のある綿の糸──。モカレやシマテが、旅の途中で見つけてきたものの中から、毎回一つだけ、ニカに贈られた。なにがもらえるのか、いつも想像しては、二人が帰るのを待っていた。
ところが今回は、土産のことなどニカの頭から一瞬にして消え去った。ニカの2倍ほどある肩幅のシマテが、猫背になりながら、自分のなくなった左足を庇うようにして、顔を歪めながら椅子に座る。モカレは「汗を流したい」と言って、水を貯蓄しておく水場へ消えた。
モアレは二人が持ち帰った果物の中から、パイナップルを取り出し、ガラスのコップに絞ってジュースにした。ちょうどモカレが水場から戻ってくるタイミングで、ジュースを差し出し、二人は無言で一気に飲み干した。ニカは、渡されたパイナップルジュースを持ったまま、二人の喉が上下に動くのを見つめることしかできなかった。
「それで」
と、モアレは言った。
「今回の旅はどうだったの」
モアレの言葉に、シマテはため息をついた。
「まあまあね」
モカレの歯切れの悪い返事に、ニカは慌てて返した。
「荷車には売れ残った豆がひとつもなかったじゃない。食料だって、たくさん買えたみたいだし。まあまあどころか、かんぺきだよ、母さん」
ニカの両親が作るクル豆は、品質が良いと評判だった。だから行商では完売が当たり前だった。
「売り切っていないのよ」
モカレは、自分の足元に目線を落としたまま言った。
「盗まれた」
「えっ?」
「全部ではないけれどね」
シマテも宙を見つめている。
「どういうこと?」
モアレが鋭く質問した。
二人は黙っている。
父さんも母さんも、いったいどうしてしまったんだろう。長旅だったとはいえ、こんなに憔悴しきって、魂が抜けてしまったようすは、見たことがない。
ニカは、荷下ろしをしてから落ち着かず、ずっと玄関の前で立ちっぱなしだった。パイナップルジュースの甘酸っぱいにおいが、吹き抜けのバンブーハウスの中を軽やかに抜けてゆく。
「そのままだよ、盗まれた」
「なぜ?」
「第17集落までは順調だった。いつも買ってくれるお客さんが、他のお客さんを連れてきてくれたりして、前の旅よりずっと売れたわ」
モカレは、ジュースを飲み干していくぶんか落ち着いたのか、背筋を少し伸ばした。
「でも第18集落に着いたとき、急に雨が降り始めた。粒が大きくて、雨足も早い。とてもじゃないけど売れる状況ではなくて、いつも売り歩くときに立ち寄る空き家の軒下で、雨が止むのを待つことにしたの」
日が落ちてきて、西日が差し込む。4人の影が部屋を塗りつぶす。
「雨はぜんぜん止まなくて、わたしとシマテは交代で眠ることにした。でも、わたしが寝ている間に……」
モカレは言葉に詰まり、シマテのほうを見た。シマテは微動だにせず、宙を見つめたままだったが、目をつむった。それを合図に、モカレは重い口を開いた。
「わたしが寝ている間に、シマテがもよおして、用を足すために一瞬だけ荷車を離れた。その隙に、盗られたの」
モアレは信じられない、という具合に深いため息をついた。ニカは、ハラハラしながら、モカレの次の言葉を待った。
「集落の境目は、よく盗人が出る。分かっていたけど、何度も行っていたから油断していたの」
「お前は気づかなかったのかい?」
「気づかないわよ。毎日歩きっぱなしで、すっかり疲れてしまっていたもの」
「命が盗られなくてよかったけれど」
モアレは、たるんだ顔のシワをますます濃くして言った。
「それで、お前のその足は、何があったんだい。その時にやられたのかい?」
モアレの言葉に、シマテは弱々しく首を振った。
「じゃあ……」
「エピラにやられた」
「エピラ……?」
「エピラが、おれを突き飛ばしたんだ」
太陽は、すっかり山の向こうへ沈んだ。ニカには、影になって父親の片方の目しか見えなかったが、その瞳は血走って、今にも破裂しそうだった。
(つづく)
創作メモ
物語を作る際に、ぼんやり考えたことや裏話などを書いています。ほとんど雑談です。今回は、今一番行きたい南の国について。
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