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思い描いていたもの。

最近家にいるようになったから、という訳ではないのだが、私は基本的に突然の誘いでも断らない。
小学校からの親友が2人目の子どもを出産して3ヶ月ほど経った。普段は忙しすぎるほど忙しく、パワフルに日常をこなしている彼女なのだが、現在産休中だ。せっかくだからゆっくりすればいいのに、どうも彼女はゆっくりのんびりとはウマが合わないらしい。

そんな彼女からの誘いは最近ではほとんどが突然になってしまった。私の今の状況もよく知っているし、専業主婦というものに偏見なく接してくれているので有難い。そんな訳で、電話1本で誘われてその15分後には彼女の迎えの車に乗っているなんてことはしょっちゅうである。

いつもは下の子だけなので、ベビーカーなり乗り物さえなんとかなれば手がかからないのだが、その日は2歳半になる上の男の子もいた。
なんといっても、男の子である。
そのパワーは2歳児とはいえ油断できない。
最初は大人の都合でショッピングモールなど見てまわっていたのだが、彼がどうしても公園に行きたいという。
夫の帰りが遅い日だったし、はやく帰る必要もなかったので、いったん彼女の家に寄り、準備を整えてから皆で向かうことにした。

余談だが、私には別れた元夫との間に離れて暮らす10歳になる男の子がいる。
いつも心のどこかに、その存在と罪悪感がある。
それはこれから先も消えたりすることなく、ずっと抱え続けていくだろうし、そうしなくてはいけないと思っている。
親友の子どもに名前を呼ばれる度、一緒に遊ぶ度に、罪滅ぼしではないけれど、どこか心が救われるような気がするのだ。
そんな都合のいい話はないことはわかっている。

その日行った公園は割と新しく綺麗で、高い丘の上に作られた遊具で遊んでいると、辺り一帯が見渡せるようになっている。
子どもは小さくともひとりで自由に遊んでいるのだが、子ども故に行動も自由だ。
すべり台の上まで来たのに、気が変わって来た道を戻ろうとしたりする。
そうすると後ろで順番を待っていた子にぶつかってしまうので、すかさず親が「順番だよー!」と声をかけたりする。
そういった親子で混み合う丘の上で、子どもを見守るお母さんたちを見ていると、服装に暗黙のルールがあることがわかってくる。
靴は歩きやすいスニーカー、上はパーカー、バッグは両手がフリーになるリュックか肩から斜めにかけるウエストバッグ。
パーカーの下はジーンズよりガウチョパンツが多く、パーカーワンピースの人は下に楽そうな黒レギンス。
それらの服装は全ておしゃれかつ動きやすい。
近所の公園までだからと、ジャージにTシャツなんていうお母さんはもういないらしい。
彼女の代わりにリュックを背負い、あちこち遊び回る小さい男の子を追いかけながら、物事は変わっていくのだと感じた。

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