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久しぶりの夫婦時間はGTOリバイバル。

こんばんは。岬です。

GTOリバイバルを知った夕方。
普段テレビは見ないので出遅れました。

夫は初代GTOが大好き。
鬼塚先生に憧れて教師になろうとしていたらしい(単純)

夜にTVerで一緒に見ようと約束し
子どもたちの寝かしつけまで協力し合う。
寝落ちせず、這い上がりました。

寝かしつけをしていたわたしに
大好きなハーゲンダッツを買って待っててくれた夫。ありがとう。

今見終わりました。

感想は
胸がぎゅーと締め付けられる感覚でした。
泣きました。

わたしも傷ついていた時期があったと思い出しました。

初代GTOの放送は26年前の1998年。
当時わたしは11歳でした。
SPEEDをCDで聴いていた時代。

スマホではなく、携帯はガラケー。
家電で連絡をとる。
パソコンももってないし、Wi-Fiもなかった。

オンラインのつながりはなし。
リアルでの繋がりが最重要だった。

「夢をもつことが絶望」だったあの頃。
子どもが闇の中にいるとき、夢をもつことは絶望でしかない。

なんでかって?
子どもは無力だから。
夢をもつと、今の生活との違いに更に絶望するからだ。自分で自分を苦しめることになる。

だからこそ、
鬼塚先生が子どもたちのこころの傷を見逃さず、身体を張って救っていく姿は、ヒーローそのものだった。

わたしにとって戦隊ものよりもヒーローだった。

言いたいことを正面から言って
弱い自分をさらけだす勇気。

ひとを信じる勇気。
ひとを頼る勇気。

信じてくれる大人がいる安心感。
こんな大人がいてくれたらと思っていた。

今回のGTOリバイバル。

いつの時代も変わらない。
子どもを物のように扱う大人がいる。
子どもに平気で「死ね」と言う大人がいる。

デリカシーという言葉で包み込み
子どもがヘルプを出しているのに、助けてくれない大人たち。

子どもたちを「クズ」という大人たち。
聞いてて、辛くなる。
胸が張り裂けそうになる。

平成より令和は複雑。
SNSが身近になり子どもたちの「やわらかく繊細なところ」を蝕んでいく。

初めての感情をうまく取り扱えず、そのままをSNSに垂れ流す。
いいね!の数でしか自分の価値がわからない。

SNSは使い方を間違えると凶器になる。
「裏アカ」が当たり前に存在する時代。

真正面から本音が言えない関係。
子どもの頃に葛藤するきもち。

今の時代の子どもたちの孤独に気づけない親世代。


鬼塚先生が言っていた
【ガキの頃にできた傷は、ガキの頃に治してやんねぇと傷ついたまま大人になっちゃいけない。】

この言葉を聞いて、目がうるむ。

わが子たちが思春期になるとき、
葛藤が色々あると思う。

でも
「夢を見て叶わなかったときの努力が無駄になる」
「何かやらかしたら人生終わり。今までの生活が全部無駄」と言っていた生徒たちのように思って欲しくない。

「無駄だと思うことの中に、無駄じゃないことがある」と言った鬼塚先生。

わたしもそう思う。
そのときは無駄に思えても、その経験は全て繋がっていく。そういう想いを伝えていきたい。

夫と一緒に見ていてそう思った。
親がこんなんじゃ夢をもつことは絶望なんだよ。
ポツリ呟いたわたしを見て笑った夫。

有難いことに、今わたしはしあわせだ。
過去を過去のものにできている。

傷ついている子どもたち全員を救うことは今のところムリだ。
でも、わが子のこころの傷に向き合う存在でありたい。

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