マガジンのカバー画像

京都暮らしエッセイ

72
京都が大好きで、京都に暮らし始めました。ささいな暮らしの中で感じること、街歩きのエッセイを集めています。
運営しているクリエイター

#わたしの旅行記

京都暮らしの紅葉巡り。グラデーションで移り変わる日々。

京都暮らしの紅葉巡りの記録。赤や黄色、緑、オレンジ。彩り豊かなグラデーションの景色を眺めるのが大好きだ。 晴れた日には、太陽の光で葉の影がゆらゆら揺れる。真っ赤な燃えるような紅葉もいいけれど、私はいろんな色が入り交ざった「あいまい」の景色を楽しんでいたい。今年も大好きな街・京都で、たくさんの紅葉とその街の空気を味わった、その記録を。 四季の移り変わりが美しい、智積院春夏秋冬、どの季節に訪れても美しい景色に出会える智積院。20回以上行ったことがあるけれど、紅葉のピークの時期

同じ景色を、季節を変えて眺め続ける、定点観測のススメ。

身の回りの景色が赤や黄色に染まる、今日この頃。絵具のようなくっきりとした空の青色を背景に、高く高くそびえるイチョウの木が美しい。真っ赤のモミジだけでなく、色づき始めのオレンジの葉やまだ色づいていない緑の葉のグラデーションが美しい。足元に広がる落ち葉の彩り豊かな模様に、より一層秋の気配を感じさせてくれる。 ただいつもと同じ景色を歩いているだけなのに、秋の街を歩くのはなんて楽しいことだろうか。そんなことを考えながら、大好きな京都の街を歩く。 いつも散歩がてら見ていた何気ない木

写真で振り返る、夏の京都の記憶

朝晩と肌寒くなってきて、秋の風の心地よさを感じる頃。もうすっかり世間は秋へ秋へと向かっていて、夏のうだるような暑さが少し遠い記憶となってきた。あんなに夏の暑さが嫌いだったはずなのに、空気が秋めいているまさにいま、少し遠い夏の景色が恋しくなってきているのも事実だ。 あんなに暑さを嫌悪していたというのに、それがなくなったとたん、どこか懐かしい、いい思い出として記憶されるようになっている。まあ、いい思い出なのは事実なのだけど。恋人と別れた後、何年後かにいい思い出として美化された記

紅葉の名所は、新緑の名所。京都で楽しむ、緑の世界へようこそ。

5月。爽やかな風と瑞々しい新緑がきれいで、1年の中でも大好きな1か月だ。4月上旬ごろまでピンクの世界だった景色は、またたくまに、緑の世界になってゆく。緑色に変わっていくだけでなく、時間が経てば経つほど、緑が濃くなっていく気がするのだ。 瑞々しく、爽やかな季節。そんな季節に私が意識して訪れるのは、紅葉の名所、だ。青もみじとも呼ばれるように、秋には真っ赤に染まるもみじの木々も、5月になれば、それはもう降り注ぐ緑のシャワーのように、色を変える。私は、燃えるように染まる紅葉の「赤」

大好きな京都の街が、日常の風景になる

京都に移住をして、はや半年が経とうとしている。相変わらず、京都の街が大好きだ。旅行で何度も訪れたときに思った「好き」と、実際に暮らしてみて日常になってから思う「好き」には、雲泥の差があるように感じる。今日は、この違いについて書いてみたい。 きっかけは、執着と憧れと悔しさ私の京都への執着のような憧れは、高校生のときまでさかのぼる。高校1年生のとき、ひとり旅の行先として京都を選んだことが、この執着の最初のきっかけだ。はじめて訪れたときに見た、「龍安寺」や「北野天満宮」が忘れられ

暮らしの半径3キロ以内で、旅に出る

暮らすことと、旅すること。一見、対極にありそうな2つだけれど、共存している、と私は身に染みて感じる。私はいつだって、暮らしの中で旅に出ているんだ、と京都での暮らしを思い返してみてふと気がついた。 そんな暮らしに名前をつけるとしたら、「暮らしの半径3キロ以内で、旅に出る」という言葉がしっくりくる。たった3キロ、と思うかもしれないが、ぐるっと半径3キロで円を描いたら、想像以上にその範囲は広いことに気づくだろう。暮らしの中心となる家から外に向けて一歩踏み出せば、ささやかな旅は始ま