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自分研究#1

自分研究、はじめました。


ここ最近私は自分研究にハマっている。

私は残り一ヶ月ほどで21歳になる。

21歳と聞くと
なんだか20歳より大人に感じる気がする。

残り一ヶ月の20歳期間で
克服したい自分の弱さがいくつもある。

そのために
この春休みという貴重な期間を使って
自分研究を始めてみた。

今回のテーマ及び現状

今回のテーマは「失敗への恐怖」だ。

私は昔から とにかく失敗が怖い人間だった。

失敗が怖い、嫌われることが怖い、見放されることが怖い
怒られることが怖い

そのために
取り越し苦労が多い、不安や後悔が多い、自責の念が強すぎる
などといった弱みがあった。

失敗すると数日間は そのことで頭がいっぱいになる。
体調が悪い時には、過去の失敗を丁寧に一つずつ掘り起こしては
当時の自分の未熟さを悔やんで悔やんで仕方なかった。

常に最悪のケースを想像しており、
そして物事のほとんどが その最悪のケースのようになると考えていた。
つまり「最悪=当たり前」の状態。

一度「やってしまった」のループに入ると
周りの励ましや慰めも耳に入らない。

優しい言葉に対して
「確かにそうだよね」と切り替えることが
私にはできなかった。

心臓の鼓動は速くなり、うまく呼吸ができなくなり、
頭は重たいノイズがかかったように動かなくなり、
そんな状態が この20年の間で何度も起きていた。

分析

なぜこんな状態に陥ってしまうのか、
分析をしてみた結果 次のことがわかった。

1. 物事がうまく運ぶ状態=当たり前

例えば
「宿題は期限内に出す」ことはできる。
「時間を守りましょう」もできる。
「先生の話はよく聞きましょう。」できる。

これまでは
「先生や親などの目上の人の言うことを素直に聞いていれば
なんでもうまくいく」状態だった。

つまり「叱られる=なんらかの理由で指示を聞かなかった」
ということだ。

例えば、
「ゲームをしたくて、宿題をサボった」とか
「寝坊して時間を守れなかった」とか
「おしゃべりが楽しくて話を聞いてなかった」とか
それなら叱られることも当然だ。

そして、私は その部分に関して
「守らない」という選択肢もなく従い続けた。
だから良い意味でも悪い意味でもうまくいきすぎた。

そして次第に「物事がうまくいく状態=当たり前」となってしまい、
「物事がうまくいかない状態=エラー」という認識が生まれた。

2.相手からのポジティブな評価や言葉がないと不安

これも本当に自分でいうのが恥ずかしいが、
私は常日頃からありがたいことにポジティブな評価をたくさんいただいた。

とにかく「言われたことをこなすだけで褒められる」の繰り返しをしすぎて
言われたことをこなす→物事がうまくいく→褒められる→当たり前
という考えに至ってしまった。

それが年齢が上がるにつれて
至極当然のことではあるが「言われたことをこなす」だけでは
評価されないことも増えてきた。

私はおそらくプライドが高い。
おそらくというより確実に高い。
それは、これまでのポジティブな評価を当たり前と捉え
ポジティブな評価をもらったことに対する喜びを失ったからである。

そして ポジティブな評価や言葉が返されない場面で
不安を感じるようになりはじめてしまった。

3.失敗=他者からの失望だと思う

「なにをもって失敗とするか」は人によってさまざまだ。

私は自分の案に対して「助言をもらった」だけで
「今 提出した案は失敗だったんだ」と考えるような人間だった。

(今は「助言」に対しても
それほど悲観的にならず受け止められるようにはなったが)

助言をもらうたびに
「最初から完璧じゃなかった」ことへのパニックと
「完璧じゃない自分を見せてしまった」ことへの恐怖が起きてしまう。

そして「助言をもらった」だけでも
私は相手に「失望された」と考えるようになってしまった。

「宿題をこなすだけで」「先生の話を聞いているだけで」
自動的に完璧優等生でいられた時代が徐々に幕を閉じ
90点、80点と点数が下がっていくのが怖かった。

相手から「常に」プラスの評価だけもらえる状態ではなくなり
戸惑った私は「改善点の指摘=失望」と安易に結びつけてしまったのだ。

今後どうなりたいか

私が過去にテレビで見て衝撃を受けた
「失敗からの立ち直り方」がある。

それは「過去の失敗を 人に笑い話として話す」ことだ。

すぐに実践しようと、何人かの後輩に話してみた。
すると「先輩も失敗するんですね、なんか安心しました」とか
「人間らしい一面もあるじゃないですか」と言って笑ってくれた。

それ以降、私は 初めて会う後輩に対して
「自分の失敗談を面白おかしく話す」ようになった。

すると、相手の緊張がほぐれたり
悩み事や深い相談を持ちかけるほど心を開いてくれたりと
とても良い効果がたくさんあった。

さらに、自分自身も過去の失敗談を曝け出したことで
「安心」を感じられるようになった。
失敗を通して相手からの信頼が上がるという経験は
私にとってとても大きな影響を与えた。

だから私は失敗を「将来のネタが増えた」と捉えられるくらいに
強くなりたいと考えている。

そして、自分の記憶に残る忌まわしい失敗も
積極的に誰かに「楽しそうに」話すことができれば
少しは怖くない、のかな?と思ったり、思わなかったり。



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