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配信ライブが何を売っているのか、考え続けている

すぐに答えが出せる訳でもないけど、最近よく、頭に浮かぶ疑問です。

私は音楽が好きです。ギターで演奏する曲はどれも好きですが、ジャンルはフラメンコが一番好きです。以前はなるべく都合をつけて、応援しているアーティストのライブに通っていました。

私にとって、ライブに行く価値は、音が身体に当たってくるのを感じることができることです。自分も演奏がうまくなりたくて練習を続けているので、好きなアーティストの細かい表現を間近でみれるのは、とても勉強になりました。

ところが現状、人が集まるライブが開催しづらい状況になっています。もちろんフラメンコのアーティスト達も他のエンタメと同様、配信ライブに切り替えました。

私の選択肢も、配信かリアルか、と問われると配信の方になります。ルールを守った上でライブを開催するのは賛成ですし応援もしたいのです。しかし、会社からは不要不急の外出を控えるよう通知がきて、子供の小学校や幼稚園からも、うかつな行動を取らないよう念を押すお知らせが定期的に届く状況で、それでもライブに行くのは負担を感じます。

例えば屋外でやるキャンプであれば、他人との距離を自分でコントロールできるので、この時期に実施しても問題なさそう。でもライブは、開催者のやり方に身を委ねることになります。

やはり、安全に楽しむ方法は、配信ライブくらいなのか、と思います。


でも配信ライブに、私は飽きてきています。現在私が配信ライブにお金を払う心境は、応援料金、クラウドファンディングに近いです。リーターンは少ないけど、応援しているからお金を払っておくよ、というところ。ライブの収入が生計の一部となっているアーティストもいるでしょうから、私が応援料金を払うのを辞めたら、困る人もいるかもしれません。

その状況で、このクオリティは大丈夫か? というような配信ライブを見せられてしまうと、なんというか、とても疲れてきます。これが応援疲れというのものなのか。

例えば先日、充実した映像機材が売りのライブハウスからの配信ライブを見たのですが、これが本当にダメでした。画質がよく、複数カメラを使った画面の切り替えもスムーズ。だけどそれを使ってできた映像が、見ていて車酔いしそうになるというか。演奏に合わせて画面がめぐるましく切り替わり、見ていると酔ってくるので、途中からは音だけ聴きました。スワイプも多様するのですが、なぜこの場面でその画を出したいのか、作成者のこだわりが全く伝わらないので、モヤモヤします。

おそらくアーティストは、映像のクオリティまでこだわってはいないのでしょう。これまではリアルのライブしかやってこなかったし、映像までこだわり出すと時間もお金もかかるし、映像に関してはライブハウスにお任せで口出しできない状況にあるかもしれません。もしかしたら、映像については良い・悪いの判断ができないのかもしれない。

このままの状況が続くと、私は配信ライブを楽しむことはないなと思うのです。

人がライブに通う価値は、多々あると思うのですが、配信ライブでも維持できる価値って何になるのでしょうか。

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