自己虐待から自己受容へと...という私の道

あなたが、どんなに困っていても、どんなに辛くても、うまく行っていなくても、それを丸ごと受け入れることができると、それは楽になっていく。。。
 
もちろん、不幸なことは避けたい。
しかしだ、人間を長くやっているといろいろなことが起こってくるものだ。
どんなにしっかりと生きていても予期せぬことは起こる。
人生とは魂が成長するためにあると思っている。
肉体を持っている間にできるだけ、この物質界を体験することで、より魂は成長する。
しかも困難であればあるほど、それを乗り越えていくと魂は磨かれていく。
 
私には自分の魂をピカピカに磨きあげたいという強い欲求がある。
だから、嫌なことが起こって傷ついた時、落ち込んで倒れても、なんとしてもここから立ち上がろうとする。
もう絶対にダメだと思っても、どこかで、よしやったる・・・という気持ちが出てくる。
魂に傷が入ったことで、逆に魂は磨かれる。
 
こんなに必死で頑張って生きてきたのにこの災難が起こる?というようなことが多々あった。
もう神なんていない、絶対に信じないぞ~とフランスの山で叫んだこともある。
そんなことをほざいても、私はやはり偉大な何か(神)からは離れられない。
最後には、結局、そこからの尊い学びがある。
起こったことはとても悲劇でも、最後には良い成果を受ける。
私の心は大きく成長をするのだ。
それらの体験から、かなり人生を俯瞰して観ることができるようになってもいる。
 
しかし、なかなかネガティブなことを丸ごと受け入れるのは容易なことではなかった。
スピリチュアル的にも宗教的にもネガティブなことすべて受け入れることは魂の成長進化には必須なことだとわかっていても、そのことがなかなか腹に落ちていなかった。
 
物事の理解の段階には、
①頭で理解
②ハートで理解
③腹で理解
と3段階がある。
③でじめて物事の理解は完了する。
 
相手をゆるそうと思っているだけではゆるしたことにならない。
その証拠に自分を傷つけた嫌な相手が自分に近づいてくると、すぐに怒りがこみ上げてきた。
ゆるしたのに、、、、なぜまだ怒る?と自分を責める。
いつも最後には、父の口癖だった「お前(私)が悪い」となるのだ。
 
これが長い間の私の古い癖だった。
私には自分に罰を与える方が、人を責めるより楽だったのだ。
あるいは、ゆるせない相手に私はこんなに苦しんいるのよ・・・と暗黙に相手にそれを見せて仕返しをしていたのだ。
それが復讐心だ。
この復讐意識は人類共通の集合意識の中にある。
自己犠牲・自己虐待である。
私が病になったのも同じからくりである。
 
 
病になった自分を責め続け、おまけにその後に弟が急死し、私は自分をさらに責めまくった。
母親から呪文のように「姉だから弟の面倒をみないといけない」と言われて育ったこともあり、彼の人生に責任さえ感じていた。
彼の死は私のせいだと思ってしまったのだ。
自分の病と大事な弟の死、ダブルで苦しみ抜いた。
しかし、人は苦しみを味わい尽くす(受け入れる)と、そこから浮上していけるものだ。
ネガティブな感情を感じきる。
これができた後、病んだ心は健康になっていく。
 
忌まわしい想いを手放すというより、私の場合は受け入れた。
う~~~ん、痛い憎い、あんなやつ憎んでいいよ、ほんとに辛かったわね~よしよし、など激しい感情が上がってくるたびに何度もこれを繰り返した。
ある時、ああなんだ、これもあれもあんなに醜いものもこんなにつまらないものも・・・私には全部必要な体験だったんだなと腑に落ちた。
腹に落ちたのだ。
そして、気づくとそれは良くも悪くもなくなっている。
ああ~ただ体験したかった。
そこで、それは終わりとなる。
 
もうすぐ弟の一周忌だ、彼はもうお姉さん大丈夫だよと言っているように感じる。
そう私は感じているのだ。 
もういい加減、自分を責めること、自分いじめは終わり、ここからはたっぷりと自分を甘やかしていく。
そのことにやっとOKが出せたのだ。
 
 
この地球に生きている間に、ネガポジすべてを体験し味わうことこそ、この地球に居ることの醍醐味ではないだろうか。
あの(光の)世では味わえないものだ。
ここまでくるともう何でも良くなってくる。
不倫も、悪いことも、自己虐待も、もちろん、平和活動も、愛することも。
人が何をしようと、その人の好きにしたらいい。
それはあなたの人生だから。
たとえ、私のことを悪く言っても、それはあなたの考えよねとなり、どうでもよくなる。
そのことに私が頭に来てもそれもいいのだ。
 
長い間、私と同じであることを人に求めてきた。
これこそが人との争いのもとだ。
そこから、たくさんの憎しみ悲しみ、悲劇を生んだ。
もう感じすぎて、お腹いっぱいになった。(笑)
しかも、過去世からだ。
 
今、すべて受け入れる時が来ている。
それは、なんと楽なことか。
みんながそれぞれそこに居ていい。
仲良くしてもしなくてもいい。
仲良くなれないなら、うんと離れていることだ。
みんなー、好きにしてね~~~~
私も好きにやるからね~~~~

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