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古いものは、宝物。

小学生のときにもらった友達からの手紙。置手紙であっても捨てられない。あと母にもらった絶対使わない趣味のキーホルダー。それでも捨てられないんだよなぁ。

「美沙へ 今日は少し家に寄っただけで、美沙が遅くなりそうなので帰ります。冷蔵庫にハンバーグとサラダ、ゼリー買ったよ。パンも何個か。体に気を付けてね。」

これだけの文章が、いらない紙と思われる母の仕事書類の後ろに書かれている。
サイズはA4用紙を半分に乱雑に折ってあるだけ。仕事書類は母のメモが書かれており、昔から硬筆を習っていただけあって達筆だ。

いまではこの手紙がどんなタイミングで渡されたのかわからない。
仕事を始めたあとに一人暮らしをしていた私の家に寄ったのか、私がまだ学生だったときの家に寄ったのかもわからない。

当時母はまだ仕事をしていて滋賀の北の果てのような街から、大阪市内まで2時間かけて通っていた。度々京都で一人暮らしをしていた私の家を訪ねて泊まらせてあげたり、ランチを楽しんだ。

誰かが書いたものを、誰かが読むとき。それはただの文字ではなくなる。
過去の記憶、においやその時の感情や天気。そういったものを背負っている。

私は父と母が共働きをしてくれたおかげで、進路に何も悩んだり反対されることなく好きな専門学校に入れた。私はこの手紙を読むと、こうして働いている合間に私のことを気にかけてくれて、会えないのにただ冷蔵庫に好きなものを買ってぶちこむだけで家に帰っていった母の気持ちを”読んで”しまう。

なんだか、文字には見えないものを背負っているように思える。見えている文字がすべてじゃないのだ。
そして、それは手紙だけでなく物でも何かを背負っている。それを買ったときの感情や、もらったときの相手の気持ちだ。だから私はとにかくとにかく、モノが捨てられない。

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