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看取りカフェin八ヶ岳南麓URAYAMA

こんにちは♪
クリスタルボウリストのMISAです。

今日は看取りカフェのお話♡


死からみつめる生

<看取りカフェとは>

看取り士でケアマネージャーの白倉明さん
が主催されている会。

在宅介護での
看取り経験者のグリーフケア、
今後看取りへの不安や心配、
自分の生き方をみつめる

死についてみつめ、
これからの生き方を考え、シェアする、
そんな会です。

自然の中での会なので、
参加者は自然体のもと、
和気藹々、フラットかつ真剣に
いろんな話ができました。

<死はタブーな話題>

死は重たいもの、センシティブなもの、
だから触れちゃいけない、

そんな思い込みが世間ではあるように思います。

看護師として、命の現場で働き、
何人も看取りをしてくると、
死に対しては特に怖い印象がなくなる。

お亡くなりになるまでの経過を
その方の人生として流れをみさせていただくと同時に、
バイタルという生体の反応も冷静にみていくことを
していくと、

肉体の機能が閉じる、それが強い要素だなと
とても感じる。

さっきまで、息をしていた方が、
呼吸か止まる。心臓が拍動を打たなくなる。
肉体による生命活動が終わったんだ、
そんな感じはするけれど、
どこかまだ近くにいるような感覚はある。

個人的には
「魂は生き続ける」そう思っている。

昔と違い、
病院で死を迎えることが主流になっている現代は
医療従事者でなければ、
なかなか死の経過をみること少ないように感じる。

在宅で看取るという選択をしなければ、
死を感じることが、どこか遠い存在でもある。

経験がない、関わらないとなると、
人間は「わからないから恐ろしいもの」となる。

そして大切な人を亡くなった悲しみの様子や、
人生が終わっていくという本人の無念さから
死については安易に話題にすべきではない、
人の痛みを招くものというものになっている。

私も白倉さんも、死は怖いものではなく
当たり前に存在するものであり、
誰もが経験すること。
死をどこか意識することで、
生に対し、より真剣に輝くような生き方に
繋がるのではないか、と考えています。


あなたの家族が、
生きているときから、精一杯、
やりたいことをやって、楽しんでいたとしたら、

見守るあなたも、その方と存分に
関わることが出来ていたとしたら、

果たして、死は無念なものとなりますか?
よく生きたよね、後悔はないよね、
楽しかったよね、お疲れ様でした。
ありがとう。

そんな爽やかに見送ることが
出来るのではないか、と思います。


<いつ死んでも納得のいく生き方を>

今、この瞬間を真剣に生きていますか?

一日が終わるたびに、
今日も生き切ったと感じていますか?

夜中のうちに肉体を脱いだ時、
あれをやっておけばよかった、
あの人にこれを伝えておけばよかった

そんな風に思うことはないですか?

だからといって、なんでもかんでも、
その日のうちに全力で過ごせばいいと
言っているわけではないです。

持ち越したっていいんです。

自分が納得の上で、持ち越していれば、
その日できることを出来る範囲で自分でやったのだから。

そんな生き方良くないですか?

自分がそんな生き方をして、
大切な人たちも同じように、
毎日を生きていたとしたら、人生は輝く。
社会も明るく、活気が溢れるように思います。

死を意識することは、
決してマイナスなことではなく、
だから、どう生きるんだ、という自分自身への
メッセージになると感じています。


<今、自分が何を大切にしているのか>

今回の看取りカフェで使用させていただいたのが、
静岡の医療従事者が開発した414(よいし)カードです。

自分が今、何を大切にしているか
カードを使い、自分と向き合うことで
生き方の指針が見えてくる、素敵なカードです。

みんな真剣。

自分の思っていたことと、
大切にしたいことが変わってくる。
最後は、そうか、私はこれを大切に生きたいんだ、
そんなことがわかる。

自分の生き方が明確になると、
具体的に生活はどうしていくか、

誰と、どこで、どんな風に、何を食べて、
どう過ごしていたら幸せなのか、
最後はどんなところで肉体を脱ぎたいか、

そんなことまで、夢の一つとして
考えて話すようになる。

ちなみに私は、
必ずしも家族に看取られなくても、
仲間の誰か、その時に手のあいている人で、
身体が動かなくなったとしたら、
自然の音が聴こえる家で、
優しい音に囲まれて死にたいと思いました。

じゃあ、今の家じゃなさそうかなーとか
思ったり(笑)居心地よい土地や家を探していこう♪
なんて思いました。仲間も。

<人間は迷惑をかけて生きる生物>

生まれてから、迷惑をかけていきていない人なんて
誰もいない。

大人になったとて、
食料も、誰かが生産してくれている、
洋服も誰かが作り、売ってくれている。
地球そのものにも、住まわせてもらっている。
空気もありがたい。

人間は生きているだけで迷惑をかけている。

だったらそんな自分を赦そうじゃないか。
みんなでみんなを赦そうじゃないか。

お互い様、ということで
相手を敬い、大切にする。共に生きる。
幸せを祈る。助け合う。

これが当たり前にみんなが出来たら、
生きることも、死ぬことも
本当の意味で怖くない。

<私のお役目>

今回は看取りカフェの間中、
クリスタルボウルの音をバックミュージックとして
奏でていた。

自然の中で開催され、
風の音、揺れる緑、人の声、
焚火の音、とても素敵な空間の中、
クリスタルボウルの音が包み込むような感じ。

クリスタルボウルの音は、
人の心にゆっくり入り込み、
母の手のように傷口をそっとなでる。
癒す。
心の傷跡でさえ、いつのまにか薄くなり、
なくなりはしないけど、
やさしくなでることで
愛しい勲章に思えてくるのだ。

元看護師&クリスタルボウル
音、地球、人、命、そんなことを
大事に奏でていきたいなーと思いました。

HAHAOTO
https://lit.link/hahaoto













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