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歩きなれた道がいつもより長く感じた

好きなひとと喧嘩したとき、いつもは二人で手を繋いで歩く道を、少し距離を空けてゆっくりと歩いた。お互い口を開かないまま、重たい空気が流れる。脳内ではいろんな会話の選択肢が思いつくんだけど、そのどれもが最悪な展開に繋がってしまうような気がして、結局何も言えなくなってしまった。そんなとき、歩き慣れた坂道が果てしなく長く感じて、このまま永遠に続くような気がして胸が苦しくなった。

わたしは好きなひとの家から徒歩10分くらいの場所で一人暮らしをしている。家を決めるときは、とにかく好きなひとの近くにいれさえすれば良いと思っていたから、内見もせずにそこに決めた。実家で暮らしていたときよりも職場まで遠くなってしまったので、よく周りには向こう見ずだねとか、馬鹿だねといったニュアンスのことを言われる。ほんとうに自分でもその通りだと思う。

人生の選択はいつも思いつきというか、直感で決めてしまう。大学だって受かった学部の中から学部名がかっこよかったところを選んだし、就活では当時付き合っていた人が紹介してくれた会社を受けてみたら内定をもらえてしまったため、ほかの会社は切ってその会社に決めた。でもあんまり後悔したことはない。自分でいうのはちょっと恥ずかしいんだけど、どこにいってもそこそこ頑張れるというか、馴染んでいける方だと思う。いまは本配属の希望を出したところなんだけど、正直どこでもよかった。たぶんどこにいっても色々な経験ができるし、きついことがあったときには辞めたくなってしまうかもしれないけれど、そのあときっと立ち直れる気がしている。そう思える自分の能天気さというか、ポジティブさは嫌いじゃない。  

話が逸れてしまった。それで、好きなひとの近くに引っ越してからは一緒にいられる時間がぐんと増えた。距離が近くなることは、メリットもデメリットもあると思う。

たとえは、好きな人からわたしの家に向かうまでに、線路沿いの長い下り坂がある。引っ越したばかりのときは、手を繋いでその道を歩いているだけで、近くに住んでるんだって実感できて幸せだった。ただ、喧嘩しているときはは地獄のようで、重い空気のまま無言で歩いていると、なんでこんなことになってしまったんだろうとか、早くこの時間が終わればいいのにって、そんなことしか考えられなくなる。

あともう一つデメリットがあるとすれば、相手のいやなところが目につくようになることかな。たぶんお互いそうなんだと思う。二人の異なる人間が一緒に暮らすって、そう簡単じゃないんだなあって思った。恋に目がくらんで盲目になっていた部分に少しずつ気づくようになって、でもそれをなかなか言えなくてモヤモヤするようになった。少しずつ目につくようになったというか、それまで寛容になれていたことに徐々に我慢できなくなっていくようなイメージの方が近い。

だからって好きの度合いは変わっていなくて、いまでも待ち合わせのときに遠くに好きな人を見つけるだけで緊張してしまうくらいには大好きだ。これからもずっと仲良くしていきたいから、お互いのいやなところとか、我慢できないこととか、ちゃんと話していかなきゃいけないなあと思う。口下手で思っていることを言葉で伝えるのがとにかく苦手なわたしだけど、がんばらなきゃ。


おわり

P.S.
一応好きな人にもこのノートの存在は伝えてあるんだけど、たぶん読んでないだろうと踏んで本人のことをあれこれ書いてしまってしまっている。もしこの記事を読まれてたら恥ずかしいな・・・

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