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変わりたかった。でも変われなかった②

母のがんを知って私が一番に考えたのは
地元の長野に帰るか東京に残るか。
父からは帰ってきてやって欲しいと懇願された。
もうほぼ就職も決まり、小さな頃から憧れてた
業界に身を置ける寸前だった。

保育園の頃から憧れ、上京し目前まで迫った夢を
簡単に手放せなかった。
悩み、病んで
残り少ない学生生活の中、私は学校に行かない日が
多くなった。

決断と先生

学校に行かなくなる日が多くなった私には
唯一行っていた授業があって
プライベートレッスンという名前の
3人から4人の少人数の授業だった。

授業もしっかりやっていたけど
生徒たちのメンタルヘルスの要因が大きかった思う。
私だけじゃなく、授業は出れないけど
この授業だけは出てる子が多かった。
毎回誰かが泣いてるなんて当たり前だった。

この日もいつものように教室に入り何気なく授業が始まるものだと思ったのに
先生の顔を見たら涙が止まらなくなった。
先生は何かを察してくれてその日の授業の半分を
自習にしてくれて私を連れ出してくれた。

空き教室がなかったので
誰も通らない階段で座って話を聞いてくれた。
私はとんでもない時間をかけながら
母が癌になったこと、夢を諦められないこと
他にも不安なことを全て話した。


一通り話した後先生はこう言ってくれた
『手放せないでいるこの業界に年齢は関係ないこと』
『人生で一番後悔するのは帰らなかったことになること』
他にも書き切れないくらい優しいく厳しい言葉をかけてくれて
抱きしめてくれた。


そのあとは、今日は授業はいいから帰ってゆっくり考えなさいと
言われそのまま家に帰った。



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