初めてインドに行くことになった時の話とお父さんについての思い

みなさまこんにちは。みるみるです。
今日は私にとって大切なインドの話のさわりと
お父さんについての話を
なんとなくさせていただきますね。

考える練習をさせてくれたお父さん

みなさんは、自分とお父さんの関係について思い出す時に
どんなことが頭に浮かびますか?

私がお父さんについて思い出すとき、今、心に感じるのは
「イライラした感じ」です。
その気持ちって
尊敬と愛情?のような気持と、反発の気持ちが混ざった複雑な気持ちなんです。

お父さんが私に言った言葉で強く心に残っていることばが3つあります。
(一つ目)
「医者と看護師は、食べ物で言うなら刺身と大根のツマみたいなもんだよ」
看護師になった時に言われました。なんだかその時は言い返せませんでした。もやもやが心に残りました。
(二つ目)
冷戦でソ連とアメリカが険悪な時。
宇宙開発を競ってしていた時期がありました。
私は学校の宿題か何かで新聞記事をスクラップして感想を書くのがあったんですよね。
私はこう書きました。
「宇宙の開発にまで喧嘩なんかして欲しくない。仲良く開発していけばいいのに」と。
お父さんは私にこう言いました。
「何でそう思うの?ライバルという関係で競いあって、その結果宇宙への開発が進むんならいいんじゃないの?」
と。私はその時なんて自分が返事したかは覚えていません。
ただ変わった事をいうお父さんだなあと思ったのを覚えています。

(3つめ)のお父さんのことば

そして、私が一番覚えているお父さんからの3つめの言葉があります。
それは私が20才になった時のことばです。

「みる、成人式の着物で30万円使うか、インドへの旅行費として30万円使うか選びなさい」です。

簡単に話を説明しますね。
その時の私は20才でもうすぐ成人式を迎えるという年でした。私はその時最初に人生迷いながら入った大学の1年生でした。
なんでインドという場所が出てきたかというのは、私がいつか行ってみたいと父に話していたからだと思います。
最初にテレビでヴァナラシでの沐浴のシーンを見たり、その頃私は沖守弘さんという方の写真集からとてもつよい衝撃を受けたばかりでした。

その時私はバイトもしていて30万は簡単に稼げないと感じていました。
お父さんの選択肢に対して、その時の私は何故か
(究極の選択だなあ、)と感じたような気がしたのを今でも覚えています。

一瞬私の頭に一緒に成人式に行く約束をしていた同じバレーボール部の高校時代の友人の顔が頭に浮かびました。
彼女たちはおしゃれで社交的で明るい人達。いつもきらきらしていました。
私が着物を着ないで成人式に参加したら何て言うだろうと。

一瞬の迷いのような「不思議な予感みたいなもの」が私の中にあったと思います。
「この返事をしてしまったら、自分の人生が変わってしまうかもしれない」と。

でも迷ったのはたぶん、ほんの一瞬でした。
私は成人式に着物を着るのはあきらめてインドに一人旅で行かせてもらう事を選択しました。

そんな選択肢を与えてもらった自分は恵まれた環境だったと思います。
それなのに今にいたるまで人生迷いっぱなしの私の人生は何なんだろうとも思います。
私は恥ずかしながら、一人で手続きを全部して、英語をなんとか駆使してバックパックでとかいうことはできませんでした。
行かせてもらった旅もツアーを利用してのものでした。

そして、はじめて一応は一人でいったインド旅行で
私の人生は大きく変わる事になりました。

その話はまたそのうちに~。

今日の話で言いたかったこと

どんなにイラっとするような言葉や提案でもその中に自分にとっての
本当の事とか、
役に立つことがある。

その言葉が与えられた意味がいつかくみとれますように。

人はちょっとしたと思えるような選択で人生の向きが変わることがある。

あと、お父さんについてやっぱり今思うこと

最近年をとってさらに頑固になったお父さん。
お父さんのキャラクターはお父さんで、もうしょうがないね。
私に考えること、を教えてくれてありがとう。
これからもできるかぎり元気でいてね。
です。

今日はとりとめのない文章になってしまいました。
次の投稿ではまた医療ですが、
大腸カメラ体験について書ければいいなあ、と思っています。

では~


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?