それでも食べたい!食事についての話

人生の最後の時期の食事について

人生の最後に何を食べたいか、食べれるか。

こんにちは~。
みるみるです。

note、読んでくれている方にもご報告です。
私は、以前、大腸カメラ話を書きましたが、
検査結果説明があって、
異常なしと言われました。
ホッとしました。
ありがとうございました。

私は五十肩の痛みはまだほんの少しあるのですが、(この話は途中になってしまっているので、また別の機会に書きます~)
体調もだいぶもどってきてほっとしたので、
私は今度は、我慢してた虫歯の痛みのために歯医者に通うことにしました。
(今年は体のガタが今までになく続く少し悲しい年です(涙))

歯の治療についても、なにか書くことが思いついたらまた書きたいと思います。

さて、今日は、歯の健康について考えてるうちに、
食べ物話をまた一つ二つ思い出しました。


私は、今は、食べたいものを食べすぎないで、
バランスよく食べていきたいと、いう気持ちが起こってきていますが
今日はちょっと違う視点。

「それでも食べたい!」思いを大切にする

「人生後半、人生最後の食事」

について、

文を書いてみます~。

年をとってからの(人生後半の)食事について。

今日、
思い出してお伝えしたいのは

①「誤嚥」と

②認知症の食「異食」

③死ぬ間際の食

について

です。

①誤嚥について

人は年をとると、人は嚥下機能が落ちるんですよね。
簡単に言えば、

「飲み込みづらくなったり」「むせたり」します。

私は看護師をしていた時、高齢者の方と接して、その状況を多くみてきました。
けっこう、怖いことです。
場合によっては、命に関わることもあります。
でも、
私は、それは、「怖いこと」であることと同時に
人間にとって
「自然なこと」
だと思います。

私はそれは
医療従事者が医療で改善できないことでもあるし、
介護者がいくら注意してしても、完全に防ぎきれないもの、と思っています。

そしてそれにも関わらず、「多くの方は怖いこと、自然な事、防げない事、というその事実を知らない場合がある、」ということに
私は驚きを感じます。


人間は、ムセたり、飲み込みずらくなったりしたからといって、
人が食べるのをやめるか、といったらそうではありません。


高齢者施設で私が働いていた時に、
食事の時間以外は、寝ているように、ずっと車いすに座っていた人でも
食事の時間になると、はっきり目を覚まし、すごい勢いで必死に?食事する多くの方を見てきました。
その食べる勢いと意思の強さがわすれられません。
食事の時間は一日の中でもみなさんにとってすごく大切な時間にみえました。
食事って人にとって大切なんだな~、と私は思いました。


私は、
年をとったら、ムセて当たり前。
食欲がおちて口から食べれなくなったら、一気に衰弱が進むことも多い。」

当たり前だけど、こんなことを覚えておくこと大切な気がします。

②認知症の人の食

認知症の方の食事についても思い出しました。
まず、多いのは

「食べたことを忘れてしまう」

です。食べて、30分しないうちに、食べたことを忘れてしまうのです。
何でごはんを食べさせないんだ、と怒った人もいた気がします。
今思うと、それも「食に対する思いの強さ」があらわれているのかな、と思います。

食べ物以外のものも食べてしまう「異食」

私が経験したのは、テイッシュを食べる方です。
介護施設で、穏やかに車いすで座ってロビーにいた方で、スタッフがほんの少し目を離した瞬間にテーブルの上のティッシュをもぐもぐと食べてしまった、という方がいました。
口からうまく吐き出させれる場合もあったし、そのまま飲み込んでしまったのを後から気がついたという事もあったと思います。
基本はそのようなことがある可能性のある方の近くに、飲み込みそうなものを手のとどく場所に置かない、というのが対処策になります。


そして、人生後半の食から、一番最後まで一気に話をすすめますね。

③死ぬ間際の食

「人生の最後に何を食べるか」これについても、経験したことからの
こぼれ話です。

みなさまは、「人生の最後に何を食べたいですか?」

そんな質問に芸能人が答えてたりすることってテレビのバラエティー番組でも時々ある気がします。

「寿司」とか「味噌汁」とか、その人にとっての大切な食べ物は
きっとその人の人生に結び付いた大切な食べ物なんでしょうね。

でも思い通りにいかないこともあるんだと思います。

人は年をとったり、病気になって体が弱ってくると、食欲がなくなったり、嚥下が落ちるから、死ぬ間際には好きなものを食べれない状態になる人も多いです。
その時に、経管栄養をするか、胃ろうをつくるか、点滴をどれくらいするか、は本人の希望だけでなく、家族が決めないといけないことがあり、
私は看護師として働いていた時は、それはすごく大きな問題だな、と感じていました。
延命治療にもかかわることで、今考えてもすっきりした答えはでない、もやもやした問題です。

私がまだ20代のころ、地域の小さな病院で働いていたことがありました。
そこの外科のドクターは
90代のおばあさんに「腸ろう」という管をつくり、
流動食を体に投与していました。
それが、本人の希望だったか、家族の希望だったかは覚えていません。
また、胃ろうをつくるか、つくらないか、で悩む多くのご家族にもお会いしました。
また、点滴さえ持続的にすれば、まだ生きられるという状態に高齢者がなった時の判断の難しさもあると思います。

昔、ドクターがその選択について決めるのが主流だった時に、
社会的入院状態で、意思疎通がはかれない、
面会に家族がこないような高齢の方がいた場合、
その点滴の投与を決めるのは主に、ドクターでした。
その判断の広さ、難しさを考えました。
「やっぱり、延命の点滴はとめる、やっぱり、投与する」などベテランのドクターが話すのをみて、複雑な思いがしました。

私自身や、私のまわりの大切な人は
自分の死に方や、栄養に対する人生の選択を
自分でできるようになりたい、
と思ったものでした。


最後に食べたかった、「イクラ」

病気の末期まで家で過ごしていた方を訪問したことがありました。
もう、亡くなる時期が近ずいていたおばあさんでした。
旦那様が確か熱心に介護されていました。

ほぼもう口から食べれない状態だったと思いますが、
確か「いくら」がそのおばあさんはとても好きで、
亡くなる数日前まで、旦那さんがしぼった「いくら」の汁を
少しだけ口に含ませていたなあ、
と私は今日、思い出しました。
たしか、そのおばあさんは、その時だけ、すごくうれしそうな顔をしてたんじゃなかったっけ?と。

そんなことを今日思い出してみて。


私は今回、おなかの病気をして、食事についていろいろ考えましたが、

好きなものを食べるという
人の思いも、
すごく生きるのに大切
なことがあって、

だから、やっぱり、

「いろいろ自分で決めていく」のが
後悔しない生き方としては
いいですよね、
って思います。

今日はだいぶ長くなってしまいました(汗)

追伸)今、自分は死ぬとき何を食べたいか、ちょっとだけ考えてみましたが、
たいやきが浮かびました(苦笑)。
また、考えてみよっと

では、今日はこのあたりで(^^)










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