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「借り物」ならよかった。

3回目の入院中。

退屈なことは言うまでもなく、持参した文庫本も読み終わり、スマホにも飽きて、ただ病室の窓から外を眺めていた。視線の右斜め奥にJR三河島駅のホームが見えている。常磐線だろう。時折、銀色の車体に青や緑ラインの列車が通りすぎる。

入院前、最後の検査は肌寒い雨の日。面倒くささも手伝って近頃は自宅との行き来にタクシーを使っていたけれど、そんな雨の日に限っていつまで待っても帰りの便がつかまらなかった。小雨の中しばらく立ち尽くした後、諦めて歩いて10分ほどの三河島駅に向かう。駅が近づくにつれ韓国食材の店や焼肉屋の看板が目に入るが、午前11時前に人の気配はまだ感じられない。古びて錆びついた看板を雫が濡らしている。

前情報で、駅周辺はコリアンタウン然としているとあったけれど、見る限りではそのような様子も無く、どこにでもある駅前だ。もっとも夜になれば幾分かそういう雰囲気も出てくるのだろうが、平日の日中、しかも雨の中では近隣を散策する気にもならず、僕は小さな改札口からホームへと上がった。

乗り換えターミナルでもない三河島駅は降りる必要のない駅だが、これまでに何度も「通り過ぎた」駅でもある。祖母の家が柏市にあり、幼い頃は春休みに母に連れられて、さらに大学生になってからは通学(祖母の家に下宿していたので)で常磐線を利用していたからだ。

正直、駅周辺への印象は良くない。車窓から見えた風景の記憶は、隙間なく建てられた小さな家々と赤茶けたトタン屋根の間を縫うようにして走る細い路地。時にふらふらと当てもなく歩く老人や道に座り込んでいる人の姿。何だか薄汚れていて、暮らす人たちの貧しさが滲み出ているようだったし、通り過ぎる度、見てはならないものを見ているような気がしたものだ。

ホームに上がってすぐに気づく。かつて下りホームから見えていた建物群がごっそりと無くなっていて、広い更地の上に公園が作られている。

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線路脇近くの家は数えるほどになり、ずいぶんと見晴らしが良くなっている。記憶との違いに何だか拍子抜けしてしまう。

公園にはわずかだが遊具もあるようだ。けれども、児童公園にしては「いろ」がないし、用途がよくわからない。そして人ひとり見当たらない。現実味のない風景は冷たい雨だけのせいとは思えなかった。

調べてみると、そこは「真土小思い出広場」と名前がついていた。統廃合で閉校となった小学校の跡地を駅前の再開発が本格的に始まるまで、暫定的に公園として整備して開放しているという。

トレインビューの公園と聞こえはいいのだけれど、つまりは次までの「借り物」の場所だ。いつかタワーマンションでも建てるつもりだろうか。隣の日暮里駅前のようにしたいのかもしれないが、三河島駅前にこれから若い人がたくさん住むとも考えにくい。果たして今度目にするときこの公園はどうなっているのだろう。首尾よく再開発が進めば良いが、もしかしたら今のまま放置されてしまうのかもしれない。

再び窓の外に遠く目をやる。列車のライトが右へ左へと流れていく。とっぷりと暮れてしまった空を見つめているうちに、自分の人生も「借り物」だったら、今より身軽になれたのだろうか?と思った。

度重なる入院で少し気弱になっているのかもしれない。まだしばらく、この窓から同じ風景を見続けなければいけないことにもうんざりしているのだろう。けれど、つまるところこの病室同様に不自由極まりない世界で僕はこれからも生きて行かねばならないから。

もしも「借り物」だったなら、嫌になれば全て放り投げ、地ならしして、初めからなかったことにしてしまえばいい。

弱って疲れ切った心も、傷んだ身体も、捨ててきた家族も、思うに任せなかった仕事も、叶わない夢も、忘れてしまった恋も。それら全てを要求されるレベルにしようとして、時間を費やしてきたことも。自分で変えたはずの風景がいつの間にか、いつか見たものへと戻ってしまっていたことも。

手術の傷口がまだうづく。
どうして人はあらゆる痛みを感受してしまうのだろうか。

全てが「借り物」ならよかった。

空気がさらに冷えてきた。澄んだ車両音だけゴトゴトと聞こえている。

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