本当に好きか

本当にそれが好きか、これって残酷な質問だと思うんです。ドキッとした人も多いのではないでしょうか。なぜこの質問が残酷かというと、「好き」より先行して「好きにならなきゃ」「好きになってる自分が好き」などの感情が存在していることに気づかされるからです。「好き」ということが純粋な「好き」ではないってことに気づくんです。不純物の、混合物の集まりなんですよね。

こんな不純物の大多数の本質は「ファッション」感覚の表れだと思います。どこか酔っているというか。

わかりやすくするために具体例を挙げます。代表的な例では「勉強」「オーケストラ」などですかね。これらに共通するのは「好きな人が少数・希少で、自分の能力を間接的に表現することができる」ということです。

もう少しわかりやすく、「オーケストラ」を例に挙げます。周りの友達がJ-popが好きでよく聴いている、そんななかで自分が「オーケストラ」を聞いたとすればどうでしょう。あなたは「感動」し、なにか「高揚感」がわいてきます。「ああなんていい曲なんだ。みんななんで聞かないんだ」と思うでしょう。これは明らかな「ファッション」感覚の表れであり、「オーケストラを聞いている自分が好き」という感情を「好き」というところだけ引っ張り出してきて都合よく解釈しているわけです。

もっともここであたかも「j-popが低俗だ」という趣旨になってしまいかねますが、ここではあくまで例・比較対象として挙げたまでです。決してそのような意味はありません。

なんだか残酷で耳が痛いと思われますが、どこか共感できるところがあるのではないでしょうか。

これを認めるだけでものすごく生きやすくなります。本当の自分に出会えるでしょう。ただ認めるのがものすごく難しい。自分が幻想に生きていたことを認めることになりますから。

もっとも、本当に好き!という方もいるでしょう。その場合はその感情を大切にしてあげてください。おおいに楽しんでください。それは「生きがい」になりますからね。また、この「ファッション」感覚の基準はコミュニティなどの個人的な文脈にも大いに影響するでしょう。「オーケストラ」好きとか音楽やってんだから当たり前だわ、という方も多いと思われます。

ただ、もしもどこかで自分の「好き」がどうも「好き」じゃないのではないかと思われた場合、その現実を受け止めてあげて下さい。時間はかかって構いません。そして、「なぜ自分はそれが好きだと思い込んでいたのか、思い込まされていたのか」を考えてみてください。そこに「本当の自分」が隠されているのではないかと思います。

ここまでなかなか辛辣な言葉が多かったように思われますが、そんなに気張ることもありません(⌒∇⌒)。どうか深刻に考えず「どっかの陰キャがなんかいってら」という感じで捉えてみてください。。

「ファッション」という見せかけを取り除いたとき本当の、丸裸の自分が出てくると思います。



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