誰しもが失った時間というものがある。 人は悲しみや重圧に押しつぶされると己が道をさまよう。 笑う事を恐れ楽しむことに恐怖し、身体や心が硬直する。 そして生きた屍と化し生命力を失くす。 私も最近まではそうだった。 しかし人間の強さとは其処から這い上がることが出来る命の輝きにある。 一度しかない人生、生命力を燃焼させイキイキと生きる、その姿にある。 人は残酷だ。お前はそのまま屍でいろと嘯く者たちが闊歩する。 世界とはそのような残酷な場所の連続にある。 だが気おされてはいけ
まだ五月だというのに日差しが強くて暑い日が続く。 最近の私は昼間は庭で撮影することが多いので、 余り暑いと疲れてしまう。 だからなるべくは涼しい日が多いといいのだけど。。。 でも最近は、ここ一二週間体調の良い日が続いている。 二週間ぐらいまえはどうなるかと思った体調だけど、 運動をやめ無理をしない生活を心掛けたら、段々と心臓の動機もマシになってきた。 ぜひこのままいきたいと思う。 人は日々を生きるだけで大変だ。 健康の話、お金の問題、人間関係、そして仕事や夢。
不思議なことに心が穏やかになると、 文体も穏やかになります。 読む相手を気遣うというのかな。 なるべく読みやすい文章表現を心掛けるようになります。 私はかしこまった文体と、砕けた文体を幸い使い分けることが出来るので、 どちらでも行けます。 記憶によると、三年ぐらい前が少し硬い文章を使っていました。 しかしここ一週間ぐらいは口語に近い柔らかい文章を心掛けています。 特に理由はないんですけど、その方がしっくりくるんですね。 まあそういう時期なのかなぁという感じです。 私
先程少し外に出て写真を撮ってきたら、 もう暑くて夏みたいでした。 日差しの強さがなんか4月のそれではないんですよね。 いや~凄い。 話変わってゲームの百英雄伝というのをやっているのですが、 これが中々面白いです。 ストーリーもいいし、ボリュームもある。 久しぶりに良作のRPGだと思います。 私はゲームオタクなのでこういう作品があると嬉しくなりますね。 という久しぶりの日記でした。 じゃあまた。
前の記事の続きですけど、名前って大事ですよね。 名前はその人の全体像を表わす事にもなりますし、 一生を左右しかねるほど大切なものです。 でも自分の名前って基本的には生まれた時に自分の意思とは関係なく 付けられるものなので、難しいです。 ただ私が思うに、もう21世紀ですし自分が自分の名前を名乗る、付ける時代に来たのかなぁとも思います。 今の時代どのように生きるかは自分で決めることが出来ます。 であるならば、名前も自分の好きなように名乗っていいと思います。 右に行くにも
以前は詩を書く時に桐野修一というペンネームを使用していました。 幕末から明治にかけて活躍した、桐野利秋にあやかってつけた名前ですが、 これが大変姓名判断的に素晴らしく気に入っていたんです。 諸事情から本名の町本を今は名乗っていますが、 私は姓名判断を気にするタイプなので、また桐野に戻したいなぁと考えています。 ただ写真は馴染みのある町本そのままで、詩は桐野にしようかなと思います。まあ確定事項ではないですけど、何れはそうします。
人に優しくするって大事ですよね。 うん。 でも難しいですよね。 嫌な事言われたらムカッとするし、そんなときに相手を思いやるって 中々出来ないです。 優しくねェ。 俺はできねぇなぁ。 そういう人もいますよね。 然しこれは慣れなんです。 慣れ。 少し深呼吸して落ち着く。 無理に優しくしようとしないで、なるべくリラックスする。 そうすればマシになります。 優しい自分になります。 酔うという言い方でも良いです。優しい自分に酔う。 世界や他人や自分に対して愛を持つ。 そんな