夜更かし(noteに宛てたプロローグ)

朝方四時。
思いが深くなる午前三時の余韻で心が閉じようとする時間だ。
明るい日中には滅多にならない感覚である。

静かだ。

普段忘れていることが次々と頭の中を過ぎる。
何気ない感動、湧き上がる熱情、悲しみや後悔、そして感謝の念、などなど。
だからだろうか、深夜に書いた手紙は出すものじゃないと。
これは母がよく言っていた言葉だが、他の機会にも聞いたことがあり、経験上納得した時がある。
深夜に思うことは、俗にいう、とにかくクサい。
手紙は大概、もらった人はそのクサいことを思いつく時間以外の、普通の生活時間帯に読むであろう。読む側は、そうして湧き出た差出人の文字の羅列に、鳥肌が立つ場合もあるかもしれない。
単純に要件や挨拶などの当たり障りのない内容以外は、そういうこともあって、私は夜中に手紙は書かないようにしている。
場違いなことで他人をしらけさせては真実さえ伝わらない意味のないものになる。
深夜に出来上がった人に宛てた手紙は、理性が少ない、つまり非現実的に近いことが多いのではないか。
いくら心を込めても、込めるほどに現実からかけ離れていく。
差出人としても、手紙を宛てた相手が手紙を読んだ後日、小っ恥ずかしい赤面をさらすことになり、手紙を宛てたことを後悔することになる。
私の経験ではそのことが非常に多い。
それらをしたためる場所は日記帳ではないか。


現在これを書いているのは午前一時半。
そろそろ静まりかえり、思いが深くなる夜更かしという時間に入る。
部屋の中は、掛け時計の秒針の音以外しなくなる。
私にはこの時間から本当の自分が始まる、という意味を持つ夜更かしを好む期間が定期的に訪れる。

近況ではここひと月位続いている。

もしかしたらこうして書いていることがクサいのかもしれない。
しかし誰に見せようとする手紙でもないし、独り言でしかないから書く。

おそらくnoteでは、こうした時間に書くことが多くなるだろう。
そして午前四時をまわると、また人々が起き出し、活動を始める安心感を胸に、太陽を閉ざして眠るのだ。




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