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卵の殻を破らねば/「こうあるべき」を変える

「お姫様になれなかった女の子は魔女になるしかない」

1997年放送のアニメ「少女革命ウテナ」に出てくるセリフです。

王子様に見初められてお城で幸せに暮らすお姫様になれるのは、愛嬌があり可愛らしく、スカートの似合う若い女の子だけ。女の子たちはお姫様になるために、従順に振舞い(ポテトサラダくらい自分で作り)、弱さをアピールし、男性受けの良い服やメイクで着飾り、「女子力」を磨き、時にバカで何も分からないふりをしなければなりません。

残念ながらお姫様になれなかった女の子は、お城ではなく危険な森に一人で住むことになります。誰も自分を守ってくれないのだから、独りぼっちでも生きていく術を身に着けるしかありません。家を探し、食べ物を調達し、力仕事をこなし、PCを一人で設定し、ゴキブリをブッ叩き、おひとりさまでどこへでも行ける…。女の子はお姫様であるべきと考える人たちの目には、それらが「魔術」のように映ります。お姫様とは比べものにならないくらいタフな魔女、物おじせずに主張することができる疎ましい魔女。魔女は何か憎まれるべき理由があって、お姫様になれなかったに違いない。そうして魔女には「欠陥のある人間」という烙印が押されます。

やかましい!明日から毎日ポテトサラダ買ってやる!スーパー内に響き渡る声で「ポテトサラダ買〜おうっと!!!」って叫びながらこれみよがしに買ってやる!!

「女性とはこうあるべき」という呪縛は、めちゃくちゃに強力です。男性はもちろん女性自身も、自分がその呪いにかかっているという事実に気づいいていないことすらある…なんとも厄介な呪いです。その他にも女性には「母とは」「妻とは」「娘とは」という呪いがかけられています。(そしてもちろん、男性には「男とは」「夫とは」「息子(特に長男)とは」という呪いがかけられています。)

卵の殻を破らねば


「少女革命ウテナ」のストーリーの核となるのは、「世界を革命する力」を巡る闘いです。登場人物たちは皆、各々の目的を達成するために「世界を革命する力」を得ようとします。しかし、アニメ全編を通して、この「世界を革命する力」が一体何なのかということは明言されません。(そして、登場人物たちも、一体それが何なのか分かっていません。)

ヘルマン・ヘッセの「デミアン」に、このような言葉があります。

鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生れようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

そして、ウテナの作中には、「デミアン」のこの言葉を元にしたセリフが繰り返し出てきます。

「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。我らは雛だ。卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。世界を革命する為に」

物語の終盤、「世界を革命する力」獲得権を持つウテナは、処女を奪われ無理矢理に「お姫様」にさせられそうになります。ここには、「お姫様」は守られる存在なのだから、「お姫様」になった者は「世界を革命する力」を得られないのだという、暗黙の掟が適用されています。

ウテナをお姫様にしようとするのは「世界の果て」という名前の「元・王子様」の仕業なのですが、彼は「世界の果て」という名の通り「女の子はお姫様か魔女にしかなれないこの世界」の限界を意味します。彼は「女の子はお姫様になって王子様を助けるべき」という自分の認識を変えることができないため、この世界から永遠に外に出られないキャラクターなのです。

何が世界を革命するのか

三島由紀夫は「金閣寺」で、主人公の友人である柏木にこう語らせています。

俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるのは認識だと。

認識で世界は変貌させることができる。そしてそれは生きるために人間が持った武器だ、と続けます。あれです、恋をしたら毎日は輝いて見えるし、嫌な客は「喋る給料」だと思って接しよう、みたいなことです(雑)。

柏木のこの発言に対して、主人公の溝口はこう反論します。

世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。

溝口は認識するだけではだめで、行動こそが本質的に世界を変えるのだと主張します。ブラック企業で働く自分を「働き口があるだけマシだよね…」と慰めていては世界は変わりません。退職届を書いて出せ!労基に訴えろ!新しい就職先を探せ!!!わかったか!!!!

「お姫様」の役割を全うするために己を殺して生きる友人・姫宮アンシーを助けようと、ウテナは孤軍奮闘します。そして、ウテナのおかげでアンシーは最も大切な一歩を踏み出します。(それがどのような形なのかは、根性出して全39話のアニメを見てください。)

NHKの「課外授業ようこそ先輩」というドキュメンタリー番組を元にまとめられた、『柄本明の「絶望」の授業』という本があります。卒業した小学校を訪れた柄本明は、児童たちに「絶望したエピソードを持ってこい」という宿題を課し、「人間は(もっと)簡単に絶望していいんだ」と語っています(確かだいたいそんな感じ)。そして、柄本は直接的にその理由を語っていなかったと記憶しています。

ウテナは「お姫様」システムの理不尽さに絶望したことによって、それを変えようという強い意志そして行動力を得ました。絶望からパラダイムシフト(認識の変化)が生まれ、理不尽な世界を変えようという力が呼び起こされるのです。絶望には、大きな価値があるのです。

「お姫様じゃないやつは魔女(結婚できない人間は変)」なんておかしい。そして、「母親ならポテトサラダくらい作らなきゃいけない」なんておかしい。ああ、絶望したくなるようなことばかりの世の中だ!でも、落ち込んでただ黙っていることができなくて、この記事を書きました。

こんなささやかな行動だって、だれかのパラダイムシフトも呼び起こすこともあるでしょう。「女性は、母親は、そして男性はこうあるべき」という呪いに苦しむすべての人のために、私は声を上げ続けたい。行動は、きっとどんな世界をも変えることができます。
絶望したとき、私はこう言いましょう。「卵の殻を破らねば雛鳥は死んでしまう。死んでたまるか!!」と。

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