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「苦しい時には苦しいが起こっているのはわかっている」

「苦しい時には苦しいが起こっているのはわかっている」という状態にいることは、多くの人にとって非常に難しい経験です。私たちは苦しみを避けようとする傾向が強く、何とかその感情から逃れようと様々な手段を試みます。しかし、ここで大切なのは「苦しみそのものがただ起こっている」という事実を受け入れることです。

苦しいと感じる時、その感覚に「私」という主体があるかのように思い込むことが多いです。「私が苦しんでいる」「どうすればこの苦しみを取り除けるのか」という考えが生まれ、そこから焦りや不安が増幅されます。しかし、非二元的な視点から見ると、その「私」という主体すらも実体を持たないことが理解できてきます。つまり、苦しみは「誰か」によって体験されているわけではなく、ただ苦しみという現象がそこにあるだけなのです。

「苦しいが起こっている」という認識において、私たちはその苦しみに巻き込まれず、少し距離を置くことができるかもしれません。苦しみは、いつも何かしらの理由や原因に基づいて現れますが、その原因や理由が解消された時、苦しみもまた消えていくのです。このサイクルは自然の一部であり、何か問題を解決するために努力することも一つの手段かもしれませんが、そもそも苦しみそのものに焦点を当てて、その背後にある根源的な構造を見つめることが重要です。

例えば、何かを失う恐れや失望を感じる時、それに対して抗うことは無意識のうちに行われるものです。しかし、そこで「苦しいがただ起こっている」と気づくことは、心の中での葛藤を和らげる一歩になります。苦しみはあくまでも一時的なものとして現れては消えます。そうした瞬間に、その苦しみが自分のものではなく、単なる感情の波であることを理解することができれば、次第にその影響を受けることが少なくなってくるのです。

さらに、「苦しい時には苦しい」と認識することは、苦しみを逃れようとするのではなく、その状態に留まる勇気を持つことでもあります。私たちは苦しみから目を背けたくなりますが、その時こそ、私たちはその感覚に正面から向き合う必要があります。苦しみを感じている時に、なぜその感覚が生じたのか、そしてその感覚はどのようにして自分の内に入り込んできたのかを冷静に観察することで、少しずつその感情に対する反応のパターンを見極めることができるでしょう。

この観察の過程では、「苦しい」という感覚がどれほど強烈であっても、それが本当は何かしらの意味を持っていないことがわかってきます。多くの場合、私たちは自分の中にある思い込みや期待、執着が原因で苦しんでいるのです。たとえば、誰かに期待を抱いてその期待が裏切られた時、それが大きな苦しみを生むことがあります。しかし、その期待そのものが幻想であり、誰もその期待を裏切ることができないのだということに気づいた時、その苦しみは自然と消えていくのです。

苦しみを感じた時にそれを受け入れることができるかどうかは、私たちの内面の成長に大きく関わります。「苦しい時には苦しいが起こっている」という事実を冷静に受け止めることができれば、苦しみは単なる通過点として扱うことができ、そこで自分がどう感じているのかを深く知ることができるでしょう。この過程を繰り返すことで、私たちは徐々に苦しみの根源を理解し、そこから解放されていくのです。

また、苦しみが消える時、それは自然に起こります。何かを強制的に変えようとする必要はありません。苦しみがやってきた時、それがただの一時的な現象であることを見抜き、そのままにしておくことができれば、自然とそれは去っていきます。私たちが苦しみに対して抵抗せず、その状態に対して自分の感情や思考を投影することなく、ただその瞬間に在り続けることができれば、苦しみは必要以上に長く留まることはありません。

最終的に、「苦しい時には苦しいが起こっている」という理解が深まると、それは大きな解放感へと繋がります。苦しみを個人的なものとして捉えることをやめ、ただの出来事として受け入れることができれば、苦しみ自体が持つ影響力は驚くほど軽減されます。そして、そこから解放されるとき、その瞬間は新たな視点が生まれる契機となり、私たちはより深い内面的な平安を見出すことができるのです。

「苦しい時には苦しいが起こっている」という状態に留まることは、決して簡単なことではありませんが、その過程を通じて私たちは内なる自由を手に入れ、苦しみの本質を理解することができるのです。

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