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自分と違う掌の温度

自分の掌の温度はいつでも感じられるけれど、大人になると他人の掌の温もりというのを敢えて意識することは低いのではないだろうか。

子供と手を繋いて感じる温かさ。大人より少し温かめのそれは眠いからなのか、それとも子供特有の温度なのか。
ある程度の年齢になれば友達と繋ぐ掌の温度も感じるだろう。女の子なら仲の良い友達と手を繋いで学校から帰る道を思い出すこともあるかもしれない。

仕事をすれば握手することもある。相手の手が微妙に冷たい。または熱い。湿ってる。カサついてる。何となくサワリタクナイ(笑)
握手が印象のひとつとなりうるため、雑誌などではハンドケア対策や専門エステが流行っていたりする。

それほど掌から読み取る情報は多く、そして自分や相手の心情を伝えてしまうものだ。その温度が自分にしっくりくるとしたら、きっと好感を持ってしまうかもしれない。

もしかしたら、それがきっかけでもっと相手に深く愛情を感じるようになるとは言えないだろうか。

そして、愛する人が与えてくれる温もりもまた。。。

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BUMP OF CHICKENのある曲の中にこういう歌詞がある。

掌が覚えた 自分と近い 自分のじゃない温度』

手と手が触れて知ってしまったその人の温もり
自分と微妙に違う、でも確かに自分に近い愛おしい温度は、愛する人へ抱く恋しさや愛おしさを温度で示している。

自分に近い、という事はとても親しみを込めた近しい存在である事に他ならないと思う。
そこに言い尽くせない多くの愛情表現が詰まってる気がして、私はいつもその歌詞に自分を重ね合わせる。。。それはまるで触れた手の温度をはるか遠くから取り戻す作業に近い。

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決して話や趣味が合うわけでもない、これと言って好きなところも見当たらない、相性が良いとは決して言えない。。。
けれど肌を重ねた時にこれほど人によって違うのかと痛感させる相手がいるのは幸か不幸か。

。。。私にとっては幸不幸、どちらなのだろう。。。

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。。。その人は全体的にガタイが良く、今まで私の周りに居るどの知り合いよりもひと回り大きかった。180cmを優に超えるような人は強いて言えば父親やそっちの親戚くらいしか見当たらない。

初対面の印象は良くなかった。というか、どっちかって言えば『ないわー😑✋』と思ったほどだ(笑)

決して深く付き合う事は無いだろうと思ってた。せいぜい軽く挨拶して、表面上の世間話をして、それ以上は無いと思っていた。

最初は精一杯の愛想を振りまき、でも付かず離れずで一定の距離を保つよう努めた。たわいもないどうでもいい話をし、相槌を打って、笑顔を絶やさず、その時間が終わるのを待っていた。

きっとその時だけの関係で終わるはず…そう思っていたから。。。

相手がどう思ってたかなんて聞いた事もないから解らない。数年の時を一緒に過ごしているのだからそれなりに聞く機会もあるはずなのだが、本人を相手にすると何も言えなくなる。いや、『何も考えたくない』と言ったほうがいい。今までそんな事は一度も無かった。どうしてこの人を目の前にするといつもこうなのだろう。。。そう思いながらも私はいつも無言になり、ただ、されるがままだ。

そんな相手の手が私を探している。

目を閉じてても手を離そうとしない。少しでも動けばなお一層強い力で手繰り寄せる。私と大差ない掌の温もりで私を抱きしめる。そしてそのままからみついて離さない。

それはまるで、私のカラダだけでなくココロさえも掴んで放したくないと繋いでいる鎖のようだ。

決して冷たい鉄の鎖ではない。柔らかく温かい、愛情という名の鎖。そこからはもう、逃れようがないし逃れる術さえ忘れてしまう。その温かさをずっと感じていたくて、私はそこから動けなくなる。そのくらい私の掌が覚えてしまった自分のじゃない温度は心地よいのだ。。。

相手はそれを見透かしてなのか、一言呟いて私を自分の温度で包み込んでゆく。

私はもう、一生手放してはもらえないようだ。

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