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日記、格差の話

裕福な家の子は、大人になってもなんだかんだ裕福なままのことが多い。
反対に、貧しい家の子は、大人になっても貧しいままのことが多い。
例外は無論あるが、それなりにみんなが知っている事実だと思う。

人の能力の基盤は、遺伝子と環境を掛け合わせることで決定する。
人は生まれの多様性から逃れられない。そして本来、逃れる必要もなかったはずだ。

発達した社会というのはたいへん恐ろしく、多様性だったものを簡単に「格差」に変える。
勝手に強者と弱者がいるということにされてしまう。恐ろしい話である。

昨日の日記とすこし関連するが、「生きるためだけに生きる」ことが主流だった太古の世界、生きること自体が生きる意味だった世界であれば、
今この瞬間に自殺していく人の中にも、生き残れる人がたくさんいたのではないかと思う。

社会的格差が存在する、という事実がある。
格差は時代の産物だ、という事実もある。
これらの事実が共存することは、社会的弱者にとって救いだろうか。

まったくもって救いじゃないと思う。
辛いもんは辛い。しんどいもんはしんどい。死にたいもんは死にたい。
それに尽きる。

あらゆる事実の中に、救いは存在しない。
われわれの五感と想像力によってのみ、それは生まれるんだと思う。

だからどうか、ひとりでも多くの人に生き残ってほしい。と思っている。
むろん、自分も含めて。





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