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日記、努力

「生きていてよかった」と感じるためには、努力が必要だと思う。
ただわたしは今「努力」とか「がんばる」ということをなにひとつしたくなくなっている。そういう時期である。

生きていてよかったと思いたい。(私はたいてい、そう思った直後に「だから何なんだ?」と我に返ることになるのだが、それでも生きることの褒美として一時の幸福を感じたい)
なので私はまず努力ができるようになりたくて、そのためには深い深い救いようのない断絶にいちいち絶望せず、「そういうもの」としてスルーできるようになる必要があって、だから心身を自分が楽にあれる方にチューニングしなくちゃならない。環境調整ってやつだ。わたしには(誰でもそうだけど)家族と友人と医療と経済の安定とエンタメが必要だ。それを獲得するために、自分のチンケな、取るに足らない、上には上がいる、ろくでもない「才能」をフル活用するのだ。生きるということはすなわちそれだ。楽しくもなんともない。楽しいわけがない。
ああ、個人的にはこんなこと考えてる時点でだいぶ努力していると思う。
産んでほしくなかったよ。もう生きていたくないな。

要するに、私はものすごく疲れている。

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