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日記、人が好き、睡眠ばんざい

キツめの不安症ではあるが、驚くべきことに現在、対人不安はほとんどない。おっさんは威圧感を感じるので若干苦手だが、それはみんなそうだろう。

職場の人や友人など、他人からは基本的に「人懐こい」という評価を受けてきている。自分でもそう思う。
なお家族からは「喋らない奴」と思われているが、家族が超うるさいだけであって、私も人並みには喋っている。

「今日あの時ああ言えばよかった」みたいな寝る前反省会もここ数年はない。
高校上がりたてくらいの時まではやってた気がする。ガキだからミス・コミュニケーションが多かったのだ。回数こなしてるうちに慣れてやらなくなった。それ以降もやるべきタイミングは要所要所であったのかもしれないが、正直めんどくさくてやっていない。

基本的に人が好きである。他人は自分よりもずっとおもしろいからである。interestingのほう。おもしろいこと=楽しいことなので、自分の中では他人とコミュニケーションを取ることは楽しいことに分類されている。相手が楽しんでいるかどうかは知らない。楽しくなさそうな人には話しかけない。

他の人が何を考えているのか、そこに興味があるので、他人に近づくし、話を聞きたいので、自分の話もしつつ、相手のエピソードを引き出す。仲良くなって、また次会った時も話す。

目の前のこの人は、いったい何を考えているのか。どんな側面で構成されているんだろうか。自分とどこが似ていてどこが違うのか。そうなった理由は?
一度対話してわかる部分もあれば、何度話しても一生察せない部分もある。私に見えていない一面が必ずある。そこが面白い。

人間ってなにもかも複雑で味わい深い。理路整然としてないところがほんとうに魅力的だ。いつでも予想外。
ひとりひとりの人間が、そこにそうやってただ存在しているだけで、何度読んでも面白い小説みたいなものだと思う。人間って尊い。尊いというか、自分にとって面白いってだけだが。わたしはどこまでも自分のことしか考えていない。

ただ、対人不安はなくても、人と直接話すのは疲れるなといつも思う。
人というのは、情報量が多いのだ。表情と話し方と雰囲気、その3つによって「その人」を圧倒的に主張してくる。
だから、正直毎度対面である必要はないんじゃないかと思う。一度対面で話してしまえば、そのあとは口ぶりだけでも十分わかるようになる。

わたしは友人と会って話す時、8割方相手から目を逸らしている。疲れるからというのもあるが、顔を合わせてなくてもわかると思っているからだ。
逆に言えば、顔を合わせなくてもわかる部分だけがわかっていれば、それで十分なんじゃないかと思う。
全部知られたい人なんていない。私だってそうだ。

対人不安がない故、人と話してる時だけはずっと安心している。逆に誰かと話してない時はいつも不安だ。ひとりだと自分のことしか考えなくなり、自分のことを考え出すと決まって死にたくなるので、自分ひとりになるといつも意識を失いたくなる。

でもさ、人と話すのは好きだけどすごく疲れる。仕事してる間もそれはそれで疲れるし、疲れるとやっぱり死にたくなる。そうするとひとりの休息時間を作るしかなくて、その時間でも死にたくなって、そうするとわたしは起きてる時間は常時疲れてることになる。誰でもそうかな。頭がずっとへとへとだよ。誰か助けてくれ。
昨日から同じこと言ってるな。今調子悪いみたいだ。

やっぱり今のところ睡眠だけが私の味方らしい。どれだけ忙しい時も、睡眠だけは絶対満足するまで取ろうと思う。積極的に意識を失い、人生の時間を食いつぶしながら、寿命が来るのを待とう。

せっかく人間として生まれてきたのにこんなこと言うの、なんか辛いわ。でも今は寝てる時がいちばん楽しい。正直ね。


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