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日記、ひとりでは屍の上に立てない・アイドルの怖さ

最近、アイドルのオーディション番組的なものをたまに見るようになった。
楽しみに見ているわけではなくて、家族が見ているから勝手に目に入ってくる。

見るにつけ、「勝ち上がる子たちがひとりじゃなくて、本当によかった」と思う。
勝ち上がるというのは、つまり生き残るということだ。屍の上に立つということだ。
夢を追う若者が、夢を追う若者を踏み越えて、次のステージに進出する。

別に生き残れなかった子たちの夢がそこで潰えるわけではないのだけれど(おそらくそういった番組に出ること自体にも多大な意味があるのだろうし)、ひとつの貴重なチャンスが消えることには違いない。

あんなに若い子が、新鮮な死体の上にひとりで立つと思うと、見ているだけでつらい。本人がどう感じているかはさておき。
だから、勝ち上がる子たちが複数人いるのは、すごくほっとする。

「アイドル」という存在がとても怖い。嫌いとは違う。怖い。気味が悪いのだ。
人格があるはずなのに、作為的な存在だから。

アイドルは緻密に作り込まれた人形と似ていると思う。作り手の魂がこもった人形は、人の似姿としてだけ存在することはない。ひとがひとに対して抱く幻想を纏って、その人形はすこしずつ、しかし確実に、人ならざるものに変質する。

不気味なものは、往々にして独特な、それそのものしか持ちえない美しさを放つ。
不気味と美、恐怖と美は紙一重だと思う。
ただ美しいだけではない、両方を併せ持つこの危うさこそが、アイドルの魅力なのだと思う。

自分がアイドルにのめり込み、生きがいにする姿を考えるだけでも恐ろしい。同時に、その姿が私には容易に想像できてしまう。

だから、手を出さないようにしようと思う。
飛んで火に入りたくない。圧倒的な美に目を潰されるのは怖い。
私には私の感性によって、まだやらなくてはいけないことがあるのだ。


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