見出し画像

日記、人類にとって最も退屈な季節

今週金曜の夜から今まで、ほとんどものを食べていない。

食欲がない。なぜかお腹も空かない。水と塩と数粒のチョコレートのみ摂取していた。普段は何もしていなくてもお腹が空くのに、不思議だ。
血糖値の上昇・下降がほぼないので、結果として眠気も来ない。なので、あまり寝ていない。

起きている時間が長いのは、困る。
はじめは家事をするのだが、すぐに飽きる。次にYouTubeを見たりしてみるのだけれど、見すぎて自分に嫌気が差してくる。
誰にも邪魔されないという点では非常に貴重な時間なのだが、夜にひとりきりだと、正直意識を失いたくなる。
食べず寝ずだと、なんだか自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなってくるのだ。
楽しいことも全然なくなって、どうしたらいいか分からなくなる。

日常に戻りたくて、無理やり別世界に行くことにした。
ちょうど愛読書の中に「少女終末旅行」という漫画があるので、最初から最後まで読み直した。
世界の終わりを旅する、少女ふたりの記録だ。

↑これ

私が生きているこの時代は、人類にとって実は最も退屈な季節なのではないか?と思う。

わたしたちは狩猟や採集をしなくなった。正しくは、全員がする必要はなくなった。食糧を生み出すこと自体が産業になったから。
日用品などを作る人も、そんなに多くはいらなくなった。それを生み出すこと自体が産業になったから。

余った人は、頭脳労働をするようになった。
ただ、頭脳労働でさえも、瞬く間になにかに取って代わられていく。今わたしたちが操作しているこの精密機器から、そのことが嫌というほど伝わってくる。

なんというか、個人が「生きるためだけに生きる」ということが、非常に難しい時代になっている気がするのだ。
人類は人類に生物としての余裕をもたらしたが、その余裕の使い方を定めることが、思ったよりも難しかった。
だから、多くの人は、からっぽだ。当然、わたしもからっぽだ。

今のわたしたちは、全員が生きる意味を探している。と同時に、没頭を切望している。と思う。
たとえば、自己表現、芸術の分野が今でもどんどん発展しているのは、多くの人が生きる意味と没頭を求めた結果だろう。
そういった分野でさえも産業になっている事実にちょっともにょっとするが、人が人として生きる意味は、たしかにそのあたりに集約されていると感じる。

生きる意味を求めてなにかを生み出し、なにかに挑戦する人々は、退屈になってしまった世界をめいっぱい楽しむため、努力することにした人々だ。
その姿は、直視するには辛いくらい、まばゆい。

わたしも早くそうなりたい。
わたしたちは誰でも、本当はそうなりたいと思っているはずだ。
退屈な日常が続くとしても、世界を楽しみたいと思っている。
生きる喜びを得たいと思っている!

話がよく分からない方向に飛んだが、とにかく今のわたしは、一刻も早く日常に戻りたい。
早くお腹がすかないだろうか。早く眠くならないかな。
もう一度筋トレしてみるか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?