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『訛ってるね』と言われる悲しみ

最近、関東に住み着いた関西人としての経験を基に、方言の違いについてちょくちょく語っているけど、、

関東人に指摘される度どうしても腑に落ちないことが1つある。『訛り』の考え方だ。

標準語を喋ろうとして方言が出ちゃったときに『訛ってるね』と言われるのはまだ分かるんだけど、

単純に関西弁を喋っている時に『訛ってるね』と言われるのは、なんかこう、解せない。

別に誤った言葉を喋っているんじゃなくて、正々堂々関西弁を喋っているだけなのに。

これが『めっちゃ方言だね』とか『めっちゃ関西弁だね』とかだと、全然嫌な気はしない。

他方『訛ってるね』については、『私は正しいけどお前は間違ってるね』と言われているような気がしてしまう。

ところが、関東の人達からは本当に悪気を感じないし、多分全く悪口を言っているつもりなんてなさそうだ。

もしかして、関東人と関西人とで、『訛り』というワードのニュアンスについて、違った受け取り方をしているのだろうか?

ちょっと素人ながら、簡単に考察してみようと思う。

ここから先、全部ソース不十分な個人の感想であって、一般論ではないことをご了承願いたい。


ソースがネット上の情報で申し訳ないが、『訛る』の定義は以下の通り。

なま・る【×訛る】

ある地方特有の発音をする。標準語・共通語とは異なった発音をする。

デジタル大辞泉

どうやら、標準語話者の言う『訛り』は、特に定義も使い方も間違っていないらしい。

標準語話者的には、『めっちゃ訛ってるね』は『めっちゃ方言だね』程度のニュアンスでしかないのかもしれない。

しかし、これは個人的にかもしれないけど、『訛る』というのはそもそも悪口だと感じてしまう。

というのも、なんとなく『間違ってる』的なニュアンスを感じ取ってしまっているからだ。

関西弁だってれっきとした共通言語だし、過去には標準語であった時代すらある。
それを『訛り』と一刀両断されることに、なんかこう、違和感がある。

あと、『なまる』って言葉の響きがなんかそもそも微妙だ。意味は違うが『鈍(なま)る』というワードと同音異義語なのもあってか、少なくとも褒められている気はしない。

知恵袋を覗いてみたけど、同じ関西人でも『訛ってる』と言われてキレる人とそうでない人がいるようだ。

『訛り』という単語から悪口的なニュアンスを感じる人と、そうでない人で二分化されているようだ。

関西弁をそれなりに誇りに思っている人ほど、上から目線で失礼だ、と怒っている気がする。

ところで、、ここまで書いてきて気づいたが、関西弁を『方言』と言われる分には何ら不満はないのはなぜだろう。不思議だ。

気になって、方言と訛りの違いを調べてみた。

これもソースがネット記事で申し訳ないけども。

方言とは、ある言語が地域によって別々に発達し、音韻・文法・語彙などが違うそれぞれの言語体系のこと。本土方言と琉球方言に大別されて、それぞれも分類され、北は北海道方言から南は先島方言まで、全部で16種類あるとされています。

〜中略〜

そして「訛り」とは、標準語とは異なるイントネーションやアクセントなどの「発音」のこと。方言の一要素といえます。標準語を喋っていても、方言のイントネーションやアクセントが残っていると「訛っている」ことになります。

All About ニュース『「方言」と「弁」と「訛り」は何が違う? 「あずましい」ってどういう意味? 【方言の豆知識】』

これでようやくちょっと納得がいった。

『方言』は、言語体系そのものの種類を指すが、
『訛り』は、標準語と異なる発音を指すらしい。

『方言』はあくまで関東弁、関西弁といった個々の言語体系を表すものであって、特に比較をする要素はなさそうだ。

他方、『訛り』というのは、あくまで基準に標準語があり、その標準語と比較して違う部分を指すものだ。

標準語の発音を間違えてしまったときに『訛ってる』と言われるのは、誤りに対する指摘でしかない。
あくまで標準語話者の指摘が正しいので、そこまで不満はない。

ただ、関西弁そのものを関東人から『訛り』と言われるのは、
関西弁そのものが『標準』と異なっていることを、わざわざ標準側の人間から指摘される意味合いが出てくる。

そんなこと言われなくても、関西弁と標準語が別物であることなんてわかっているけど、
その言い方では、言語体系そのものが標準語と乖離していておかしい、と指摘されている気分になる。

少なくとも私は、そんな上から目線なニュアンスを感じずにはいられない。

だいたい、標準語の歴史は新しい。
明治期以降に中央集権化に伴い、東京方言を標準語として統一しよう!というムーブメントが生まれたのが、標準語整備の大きなきっかけだ。
以来、戦前までは今以上に、方言が排斥されたり侮蔑されたりする立場にあったと聞く。

最近は方言可愛い〜だの、方言ある地方に田舎がほしかった〜だの言われたりするけど、内心、一度は排斥しておきながら今更何を、なんて思ったりするものだ。

義務教育の国語を筆頭とし、標準語教育を受けている方言話者からすると、
なんとなく、方言は標準語に比べて劣った言葉、という烙印を押されている感覚がある。

私はそれなりにプライドを持って関西弁を喋っているが、標準語話者には娯楽の一貫くらいに思われていそうで、ただでさえ複雑な気持ちを抱いている。だから余計、訛りだなんだと言われるとよりモヤる。

うーん。流石に被害妄想なのかな...ちょっと言い過ぎたかも。

それに、標準語話者だって地方に引っ越ししようものなら、田舎者特有の排他的なノリで標準語を面白がられたりするので、我々もそんなに偉そうなことを言える立場にはないな、とも思う。

一方的に申し訳ないなという気持ちになってきたので、この程度にしておこう。


知恵袋を見ているだけでも、皆さんの見解に個人差があるので、おそらく上述の見解は一般論ではない。

でも、訛ってるねと言われて激怒している人たちは、多分私と似た考えなんじゃないかな、と思う。

これを読んだ皆さんはどう思うのだろう。ぜひ見解を聞いてみたいものだ。

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