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「イリギミさん」のイチゴのムース

*「イリギミさん」は仮名ではなく、本当に「イリギミさん」なので、あなたが「イリギミさん」で、わたしのことかも、と思い当たる節があれば、それはおそらくあなたのことだと思う。

およそ20年前の1月。まだ男子高校の1年生だった私は、中学校の同級生の女の子から頼まれて、3対3の「合コン」をすることになった。
その同級生はいわゆる美人。ということはその友達なら美人に違いないと思い(男子高校生の思考なんてその程度)、「合コン」の前から期待感と同時にとても緊張したのを覚えている。
当日、一番の美人は同級生のその子で、あとの2人は当時流行りの感じのギャルっぽい普通の子たちだった。長身の子と小さい子とで特徴がはっきり分かれており、長身の子は「イリギミさん」という珍しい名字だった。
「合コン」の場所は新宿駅東口からさほど遠くないマック。大人になった今なら、なんと可愛らしいことかと愛おしく思うが、千葉育ちの私にとって初めて降り立った新宿駅にもビビり、これから知らない女子と「合コン」をすることにもビビっていた。
そんなこんなで、「合コン」は始まった。ギャルの小さい子のほうが私の連れてきたちょっと不良っぽい方に猛アタックしていたこと以外、どんなことを話したかなど含め全く覚えていない。当時もそんなに楽しくはなかったように思う。マックを出るとすぐに解散になった。総武線の乗り換えなしの鈍行で帰路につき、こんなものかと思った。
翌日、一応連絡先を交換していた「イリギミさん」から連絡が来た。今度遊びにいこうという誘いだった。正直、「合コン」の最中もそこまで盛り上がらなかったと思うのだけれど、誘われたのは単純に嬉しかったし、特に拒むほどの理由はなかったので快諾した。
次に「イリギミさん」にあったのは西船橋のマック。他愛もない話をしたのだと思う。不思議と可愛く見えた。

バレンタインデーにも会うような仲になった。当然なにかしらもらえると期待し、当然のように「イリギミさん」は、バレンタインだよ、と箱を手渡してくれた。取っ手のある小さなキレイな箱の中にはイチゴのムースが入っていた。「わたしが作ったんだよ」と聞いていないことを教えてくれた。

帰宅し、ばれないように自室に運び込む。こんなものを共用の冷蔵庫にしまうわけにはいかない。今日はバレンタインだ。息子の戦利品には敏感であろう。
晩ごはん前ではあるけれど食べてしまおうと思った。軽い気持ちで口に入れた直後、あまりの美味しさにびっくりした。イチゴのムースは食べたことがなかったので、イチゴのムースというお菓子が美味しいことにもびっくりしたが、手作りでこんなに美味しいものを作れる「イリギミさん」はすごいと純粋に感動した。

その後、「去年のイチゴのムースをまた食べたい」とお願いするチャンスはなくなってしまった。時間とともに「イリギミさん」のことは忘れていってしまうのだけれど、イチゴのムースが美味しいということはもはや忘れられなかった。

大学生の頃、有名なパティシエ(と、いわれていた)がなぜか学校の近くに出店した。帰り道の途中にあり、オープン間もなく行ってみた。シュークリームがオススメとのことで値段もリーズナブルなのでそれを買おうと思っていたのだが、そこでイチゴのムースを見つけてしまう。有名なパティシエが作るイチゴのムースは、いったいどれほどの美味しさなのだろうか。予定変更し、イチゴのムースを買い、家でゆっくり食べることに決めた。帰宅したら今度こそは冷蔵庫に入れてあげよう。
シャワーを浴び、一息ついたところでいよいよイチゴのムースをいただく準備ができた。とてもキレイなムースケーキでいかにも美味しそうだ。実際に食べてみて、とても驚いた。美味しい。しかし美味しいことに驚いたのではない。美味しいのだが、「イリギミさん」のイチゴのムースのほうが美味しい気がした。そのことにとても驚いた。「イリギミさん」は普通の高校生だったはずだ。美術系の高校には通っていたが関係はないだろう。
まったく不思議なことだが、このパティシエはイチゴのムースはそこまで得意ではなかったのだろうと考えるに至った。そうでなければ説明がつかない。
また、別の機会に、やはり同じような有名なパティシエが営む洋菓子店に行ったときにもイチゴのムースを見つけて、食べてみたのだが、やはり「イリギミさん」のイチゴのムースを超える美味しさではないように感じた。

これをきっかけに、私はケーキ屋さんでイチゴのムースがあればそれを食べるようになった。しかしどれも美味しいのだが、あの味ではない。
常温にしっかり戻してみたりもしたが、浅知恵だった。少し冷えてるほうが美味しい。

理系の大学生とはいえ、それなりに暇な時間はあったので、「イリギミさん」のようにイチゴのムースを自作したこともあった。私の舌は、素人が手作りした程度の仕上がりのほうがもしや美味しく感じるのではという仮説の実証実験だった。実際、暇に任せて何度も作った。しかし、まあ当然のことながら「イリギミさん」やパティシエたちのそれに遠く及ばない。

ケーキを食べる機会というのは人にもよるだろうけれど、多くの人たちにとっては毎日ではない。誕生日であったり、何かのご褒美であったりと、その他もっと些細なことであってもいいけれど、何か特別な時にケーキを食べることが多いと思う。少なくとも私のような庶民にとっては。
そのような機会に私はイチゴのムースを選択し続けてきた。チーズケーキやショートケーキを食べたいと思わなかった日はない。今日はイチゴのムースはやめて他のケーキにしよう、と決意しても、やはりどうしてもイチゴのムースが気になってしまう。もしかしたら、このイチゴのムースは「イリギミさん」のイチゴのムースを超えるものかもしれない。そう思うと他のケーキは食べられない。
もはや「イリギミさん」の呪いである。
過去の記憶の、もしかしたら現実には存在しない味を超えるイチゴのムースに果たして出逢うことは出来るのだろうか。呪いを解くことは出来るのだろうか。

最近、駅前にとてもいい感じのケーキ屋さんを見つけた。娘の誕生日が数日後に控えているので、そこでイチゴのムースを買おうと考えている。今からとっても楽しみだ。


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