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ネコを見に行く

妻は現在、最近産まれた子どものために仕事をしていないため基本的には一日中家にいる。
あまり外に出ないのも身体に良くないので、買い物だったり、近所の散歩を一緒にしようと、まめに誘っていた。
ある日、少しだけ遠い場所まで散歩したとき、3匹のネコと出会った。
もしかしたら4匹だったかもしれないし、あまり正確には覚えていないけれど、複数匹のネコが一緒にいる現場に遭遇した経験が今まで無かったので、まるでリアルな「ねこあつめ」のようだと興奮した。
いつも代わり映えのない散歩コースにも飽きていたわたしはどうしてもネコを見たくて、翌日の散歩にも同じ場所に行きたがった。少し遠いことを理由に妻は行くのを渋ったが、説得して連れていき、ネコを見ればそれなりに嬉しそうにしていた。
それからしばらくして、妻があまり外出できない事情ができてしまい、一緒に散歩に行く必要がなくなってしまった。
ただ、なんとなくネコたちが気になってしまって、わたしはひとり、散歩を続けることになった。

今まで散歩の習慣が続いたことがなかった。
買い物など、何か目的がないと外出しないため、運動不足解消という目的はあるにしても、歩くことを目的に散歩をしたことは続いたことがなかった。
歩くことが目的ではないが、こんなわたしでも2016年のポケモンGOがリリースされた際に
散歩が習慣化できるかもしれないと期待した。
リリース直後、自閉症の子どもがポケモンを集めるために外に出たという事例が好意的にネットニュースに取り上げられていた。わたしもわくわくした。
しかしながらポケモンGOはすぐに飽きた。プレイ当初から面白くなかったが、しばらく続けてみれば面白くなるのかもしれないと、せっせと近所を移動し、ボールを投げていた。
まったく面白味を感じることなく、わたしはポケモンGOをやめた。
友人にポケモンGOをやめたと話したら、Ingressのほうが面白いというのでプレイしてみたが、何をしていいのかわからず、いつの間にかやめていた。
そもそもゲームにはあまりハマったことはなかった。格闘ゲームは相手(人間、CPU問わず)が強くなってくるとすぐに諦め、モンスターハンターなどもちょっと強いモンスターが出てくるとすぐに諦めてプレイしなくなった。ファイナルファンタジーやドラゴンクエスト、スーパーロボット大戦シリーズはプレイしていたが、今思えば、仲のいい友人がプレイしていたので、話題を合わせるためにプレイしていた節もある。
こういった、ゲームにハマりずらいタイプの人間には、ゲーミフィケーションを用いて外出させようとする試みは上手くいかないのだと考えていた。



毎日のようにネコたちを見ていると、みんなそれぞれ違う特徴を持っていることに気が付いてきた。柄のパターン、毛の長さや顔つきも様々で、それは当たり前のことかもしれないけれど、ネコを飼ったことがなかったわたしには意外な事実だった。
違いがわかってくると、この子は毎日この場所によくいるな、とか、あの子は最近みかけないなとかが気づくようになってきた。

せっかく見にいっても、1匹もいない場合もある。そういう時はあたりをくまなく探してみて、発見したときは嬉しいし、やっぱり見つけられないときは少しがっかりする。

そういった毎日の繰り返しで、ネコを見に行くことにどんどんハマり、すっかり散歩が習慣化されていた。
しかしながら、世界中で流行しているポケモンGOで外出の習慣を得られなかったわたしが、近所の野良ネコがたむろしているのをせっせと見にいくことで散歩の習慣が得られているというのは、なんとも不思議である。


ポケモンGOは狩猟(ハンティング)であり、捕らえることで手懐け(人間化)させる。
戦闘バトルの要素もあり、それがより強いモンスターを入手したいというインセンティブ
につながっている。
ネコを見に行く行為は観察(ウォッチング)で、それ以上のことはしない。野生のままを切り取って、それを眺めて楽しむ。
ハンティングにハマる人はハマるのだろう。しかしわたしにとっては習慣にするには少々荷が気が重いと感じてしまう。それはポケットモンスターシリーズをプレイしたことがないわたしにとって、モンスターたちが愛着のない存在であることも関係しているかもしれない。さらに身も蓋もないことをいえば、ポケモンのモンスターには人間の影を感じてしまう。モンスターの出現確率や捕獲成功率などに乱数が設定され、偶然を演出したとしても、それは人間が提供したものだとシラけてしまう。

少なくともネコに直接触れることさえしないが、手触りと愛着を感じている。だから飽きずに通っているのか。

しかしふと思う。わたしってこんなにネコが好きだったんだっけ。


ネコがいる場所と同じくらいの距離がある場所にホームセンターがあり、その中の区画にペットショップがあることを最近知った。
犬の人気は凄まじく、20あるペットショーケースのうちネコは割り当てが4ケースしかないが、視界に一度に入るエリアにまとめられているためむしろ見やすい。どの子もかわいいし、血統証付きの由緒正しい子たちである。
ペットショップで売られているネコはほぼ子ネコなので、動きが活発である。見ていて楽しいこともあり、しばらくは足繫く通った。
しかし、この子たちはあくまでこの時点では「商品」であって取引される境遇にある。定点観測している私にとっては、気に入っていた子がいなくなって、かわりの子が入ってくる、というサイクルが定期的に繰り返される。
ほぼ毎日様子を見に行っていたが、用事がない限りは行かなくなってしまった。


愛着を持った対象(ネコ)をじっくり観察し続けることに興味があるということに気がついた。そこにさらにネコがいるかどうか、どのような配置で出迎えてくれるかの偶然性のゲームを楽しんでいるともいえる。それは(人間の影が見える)モンスターを次々に捕らえるよりも、よほど楽しい。
逆を言えば、人間の存在を感じさせない野生、若しくはそれに似た何か別の存在を感じられるポケモンGOのようなゲームが出来れば、今度こそわたしをネコに頼らず、外に連れ回してくれるかもしれない。


いつもの場所を縄張りにしているネコは私の知る限りでは5匹。
仲良しの茶トラ3きょうだい(似ているから多分そうだ)はいつも一緒にいることが多いが、残りのサビちゃんとキジトラちゃんは別行動が多いようで、遭遇するのが難しい。
いまは春の時期で菜の花や背の高い草が多い茂っているため、見つけるのが難しく、格段に見つけることが出来なくなった。もしもこれがゲームならば、菜の花の群生密度や草の背の高さなど最適なバランス調整が行われているであろうが、もちろんそんなことはされていない。連日にネコに会えていない日も多いが、発見できた時の嬉しさは一層である。しばらくは飽きずに楽しめそうである。
そう思っていた矢先のことだが、つい先日、買物ついでにいつもの散歩コースをさらに遠回りして歩いていたらキジが飛んでいた。散歩コースがまたさらに遠くなった。


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