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知能犯係の◯◯さん

 先日、警察署へ行って「知能犯係の◯◯さんはおりますでしょうか」という、人生の中でトップを争うほどかっこいい言葉を口にした。
 嘘であって欲しかったが、本当の話だ。理由はお恥ずかしいことに、詐欺被害にあったからである。
 Twitterで、とある舞台のチケットを譲ってもらおうとしたところ、お金を振り込んですぐにアカウントが削除された。手元にチケットは届かなかった。
 被害額は1万6千円。生まれてこの方、金欠ではなかった時期がないわたしにとっては、かなり痛い出費だった。

 あれからずっと、何度もそのことを思い出しては苦虫を噛み潰し「仕方ない、仕方ない」と自分に言い聞かせている。
 しかしひとつだけ、面白かったことがある。警察署の、取調室に入ったのだ。

 その日わたしは、仕事を早めに切り上げて、警察署へと向かった。ここで初めて、自宅付近の警察署の場所を認識する。ドラマや映画で見るような門構えに、少し恐縮してしまった。
 窓口のお兄さんに要件を伝えると、速やかに中へ案内してくれた。パンツスーツにリュックを背負った若い女性警官が「お疲れ様ですっ」と挨拶をして通り過ぎていく姿がまぶしい。時刻は18時を回ろうとしていた。

 廊下を歩き、「ここから先、立ち入り禁止」の看板を通り抜けて奥へと進む。取調室のドアがいくつも並んでいて、テレビでしか見たことがない光景に、不謹慎にも心が躍った。
 自宅に着いてから聞いてみたのだけど、50年とちょっと生きている母ですら、取調室には入ったことがないという。言うまでもなく、入りたいと思って入れる場所ではない。
 だからわたしは、取調室行きのチケットを1万6千円で買ったと思って、この件に気持ちの決着をつけることにした。滅多にできない経験をお金で買ったのだ。
 SNSで話題になっていた、石田ゆり子の名言が思い出された。「お金って紙だから、経験に変えて行きたい」。

 取調べでは一通りの経緯を話し、証拠品を提示したあと、今後の流れについて軽く説明を受けて終わった。
 常習犯だったっぽくて、知能犯係の◯◯さんは明言しなかったけれど、多分犯人は捕まらないし、お金も戻って来ないだろう。
 こうやって泣き寝入りするひとが何人いるのだろうかと想像してみたら、あまりの理不尽さに言葉も出なかった。

 そんな中、警察官も相談した振込先の銀行のひとも、皆んなわたしに優しくしてくれて、こういう時、わたしをよく知らないひとから受け取る優しさほどしみるものはない。
 大好きなジョナサンのチョコパフェでも食べて鬱憤を晴らそうと思ったけれど、なんせ1万6千円を失っている。
 思いとどまってパフェを諦め、近くのローソンで75円のチョコアイスバーを買ってかじりながら帰った。元気出せ、わたし。

 帰り道、いろんなことを考えた。ひとが人間不信になる瞬間や、経験を重ねながら物事を知っていく過程を、ほんの数時間でぎゅっと学んだ感じだった。
 こんなことで人間不信になっていたらキリがないから、わたしは別に不信になったりはしないけど、でもやっぱり、人間未知なものとは戦えないし(そもそも立ち向かう術を知らないし)、無条件に誰かを信じることができるひとは、よほど美しい経験しかして来ていないひとなのだろうなと思う。

 アイスを食べ終わり、袋のゴミを振り回しながら家までの道を歩いた。たしかにすごく、行きたかった舞台で、血眼になってチケットを探していたけれど、やっとここで諦めがついた。

 最近なぜか、生き急いでいる感じがして、とても疲れる。散々な経験をして思ったのは、当たらなかったチケットは、当たらなかったときにちゃんと諦めようということ。
 世の中便利なもので、チケットなんてTwitter以外にもリセールサイトとか、メルカリとか、いろんな入手方法がある。
 しかしもう、諦めた方がずっと気が楽なのだ。それはもちろん、観に行けるに越したことはないけど、行けなかった舞台とか、ライブとか、そういうものは多分ずっと、ほんの少しの後悔と共に心に残り続けて、それもまた一興なのである。
 執着心を手放すことも、時には必要だということを知った。

 遠回りをして帰っていたら、2年ほど前に火事で全焼した木材屋の倉庫が、跡形もなく処理されコインパーキングになっていた。
 これまで木材に遮られて見えなかった奥側の景色が見えるようになって、その土地が前よりちょっと広く感じた。雨降って地固まるとはこのことかと、少し興奮した(燃えてなくなったから「雨」という表現が適切なのかは謎)。
 失った1万6千円、当分引きずるとは思うけれど、いつか地が固まり、どうかわたしを豊かにする経験になることを願う。
 知能犯係の警察官、かっこよかったな。


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