見出し画像

ごあいさつ

 noteを書くようになって、もう少しで1年が経つ。きっかけは2つある。
 1つは就職が決まって、就活にまつわる全てのものに対して怒りのような、悲しみのような言葉にしがたい感情がわいて、それを吐き出す場所が欲しかったから。
 もう1つは、別に好きでもなんでもない人から、平然とした口調で「あなたは書く人になりたいんだと思ってた」と言われたから。思い出したのだ。そういえばわたしは昔から、言葉を紡ぐことが大好きだったこと。

 最初は、誰から読まれなくても、別にそれで良かった。だから書いていることを誰にも言わなかったし、SNSのプロフィール欄にひっそりと、URLを載せていただけ。
 誰もわたしのことなんて興味がないだろうからと、安全なところから、でも誰かが見てくれるのを期待していた。

 わたしの記事を読んでいると声をかけてくれたのは、誰だったか、いつだったか、どこだったか、わたしははっきりと覚えている。
 良かったとか、面白かったとか、そういう言葉をもらったわけじゃない。ただ、「見てるよ」とひとことだけ。それでもわたしは嬉しかった。
 見てくれる人がいる。それだけで良かった。わたしは一生懸命大きな声を出して、照れ隠しをした。

 だけどその頃はまだ、書いたことを下書きにしたためるだけで、あまり人に見せようとはしなかった。5、6個だけ記事を投稿して、それで満足。それすら誰も見てないと思っていた。
 でもそんな時、「読んでいるよ」と言ってくれた人たちがいた。そしてその人たちはわたしに、「あなたの書く、文章が好きだ」とちゃんと言葉にして伝えてくれた。
 わたしはそれから、たくさん、たくさん書こうと思った。1人でも、わたしの文章を、待ってくれている人がいる。それだけでなんだか、これまでの色んなものが全部、報われたような気がした。
 人生のお釣りが今、返ってきたんだと、そう思えた。

 それから、「読んでるよ」と声をかけてくれる人たちが増えた。それはすごく仲の良い友達だったり、ほとんど話したことがなかった同級生だったりした。
 書かなければ接点もなかったかもしれない人。そういう人たちと繋がっている時が、いちばん、書いていて良かったと思える瞬間だった。今でもそう。

 たくさんの温かい言葉をもらって、わたしは本当に嬉しかった。そしてその中でも「これからも書いてね」と言ってもらえた時、わたしはいつも、涙が出そうになるのを必死でこらえるのだ。


 書くのが怖くなった時がある。どうしてだろうって考えたら、大好きな漫画の台詞が浮かんだ。
 「種田は誰かに批判されんのが怖いんだ 大好きな大好きな音楽でさ」。
 それは浅野いにおの『ソラニン』の台詞だった。そう、わたしも、大好きな文章で誰かに評価されたり、批判されるのが怖い。安全なところから、誰とも比べられることなく、書いていたい。それはきっと甘い考え方なんだろう。

 もうわたしは、ここで書いているだけでもいいと思ってしまう。言葉にしなければ気が済まなかった思いを、ちゃんと置いていける場所がある。それだけで、十分幸せだ。これから先、どうなるかなんてわからない。
 ずっとずっと、文章を書いていたいと思うけど、それも必ずかなうとは言い切れない。でもきっと、どうやって生きたって、ゴールは同じだ。運命に抗う必要なんて別になかったのだと、わたしはこの1年間で知った。

 飽き性なわたしが、ここまでずっと書き続けて来れたのは、自分でも驚くくらいすごいことだと思う。
 そしてそんなわたしの拙文で、1人でも誰かの心を動かすことができた。それだけで、わたしはわたしを誇りに思うのだ。

 世界を変える文章や、誰かの人生を変えてしまうような文章なんて書けなくても良い。
 わたしはこれからもわたしのために、拙い言葉を紡いでいこう。今はそう思う。22歳、等身大のわたしの決意。

 そしてこうやって、ご挨拶をするのが約1年越しになってしまったことを、本当に申し訳なく思う。改めてご挨拶したい。

 これまでたった1度でも、わたしの文章を最後まで読んでくれたことがあるあなた、わたしの文章が「すきだ」と教えてくれたあなた、本当にどうもありがとう。
 わたしの人生の全てを捧げて、ここに感謝を述べさせて頂きます。



#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?