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手紙を捨てた日

 昨日、部屋の掃除をしていて、小学生から中学生の間にもらった手紙を見つけた。
 律儀にもファイルに入れて、当時もらったどんな些細な手紙も、全部保存していたのだ。
 1通ずつ読んでから捨てたのだけど、色んな感情がわっと湧き上がって、なんだかそれを忘れちゃいけない気がしたので、ここに書きとめて、供養することにする。

 このたくさんの手紙をもらったのは、もう10年も前のことなのに、何でずっと捨てられなかったんだろう。
 そう考えたとき、あの子がわたしを好きでいてくれたという事実を、捨てたくなかったんだと思った。
 今では疎遠になってしまったり、ふとしたことであまり仲良くなくなってしまったあの子が、わたしに何度も何度も送ってくれた手書きの文字列。
 内容は全部どうでも良いことだった。でもその、どうでも良い内容こそが、わたしたちの関係性がいかに深いものであったかを物語っていて、切ない気持ちになった。
 当時の自分が意外にも、愛されていたことを知った。

 面白かったのは、差出人が書いていなくても字やペンだけで誰からもらったのか、すぐにわかってしまったこと。
 もうずっと前のことなのに、不思議と色んな人の文字の癖を、鮮明に覚えている。
 あの子は習字のお手本みたいな字を鉛筆で書いていたとか、この子は筆圧が強くて文字がカクカクしてて、いつも原色のペンを使っていたとか、顔や声と一緒に思い出せる。

 当時、手紙を書くことがまるで義務のようだった。返事が遅くなったり、短かったりすると必ずみんな、文章の中で謝っていた。
 それだけじゃない。ことあるごとに「ごめんね」と言っては、何かから許されようとしていた。
 「ごめんね」で溢れた便箋は、多感な女の子が一生懸命友達から嫌われないように、嫌われないようにと自分を守る、痛烈なメッセージとなって、今のわたしの心に届いた。
 大丈夫、嫌いになんてならないよ。

 嬉しかったのは、「あなたが音楽を好きだから、あなたのおかげで色んな音楽を聴くようになったよ、ありがとう」という手紙を見つけたとき。
 誰かの人生に一度でも影響を与えられたこと、すごく嬉しく思う。

 素敵な漫画を読んだとき、面白いテレビを観たとき、逐一手紙で誰かに報告して、その感動をわかってもらおうとしていた。
 便箋の余白に、好きな歌の歌詞を書いて、何かが満たされた気がして、でも書いた歌詞に深い意味なんてなかった。
 だけどその漫画も、テレビも、音楽も、わたしはいま、どれも好きじゃなくなっていて、それが少し、寂しい。

 他愛のないクラスメイトの日常が、ただただ綴られている手紙もあった。
 何組の◯◯ちゃんが学年でいちばん可愛いだとか、◯◯くんがこんなくだらないことを言っていたとか。
 部活とクラスと、大好きなアニメがわたしの世界の全てで、そこで起きたことが全部、一大事だった。もうあの頃みたいに恋愛は憧れだけじゃ語れないし、くだらないことばかり言っていたあいつは、高校生のとき交通事故で死んだらしい。
 昔と今、どちらの日々が幸せだろうか。そう考えたとき、どちらとも答えられない、自分がいる。

 10年間ずっと捨てられなかった。だけどもう、過去にすがるのはやめよう。
 これからわたしは、もっともっと、たくさんの人たちと出会うだろう。全部は持っていけないから、ここでお別れする。

 沢山の手紙をありがとう。またどこかで会いましょうね。


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