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かけそばを超えてゆけ

noteに少し長めの文章を書くのは、長いお休み中だけになりつつあります。前回はGW、その前はお正月。わかりやすい。

休日にやること、つまり「仕事以外にやっていることで好きなこと」といえば、野球観戦、音楽、そして書くこと、なのですが、

好きな「野球」と「書くこと」が結びついて、すごくすごく楽しい!と思える時期があり、おかげでとても充実していました。

(現在は、書く頻度は前述のとおりで、野球はといえば、仕事の日も含む生活の中に溶け込んでいる感じ。)

コロナ禍の唯一の娯楽は「野球」で、その野球と「音楽」を結びつけるような取り組みに、クローズな場で多くの方に参加していただき、形に残せたことがあって、とてもありがたくうれしかったです。

好きなもののなかで、コロナ禍でいちばん制限されていたものは「音楽」だけど、

正直いうと、コロナ直前は、自分をとりまく「音楽」の環境いろいろが、あまり楽しい場所でなくなってしまっていた。

で、いま、音楽活動が再開して、ものすごく楽しい。ぶっちゃけていうと、コロナ前よりも、ぜんぜん楽しい場所になっています。

以前はどちらかというと観る専門だった自分が歌う機会も増え、また、長く一緒にやっている音楽仲間が歌ったり演奏したりするのを観る機会がさらに増え、こないだふと気づいたのは、

「このくらいでいいだろ」と思って余裕ぽく歌っているのって、心を動かされないな、ということです。

いきなりディスりですか。すみません。

「一生懸命うたっている姿ってカッコいい」って書けばいいじゃん。でもそれはちょっと、今日いちばん書きたいことと違うので。

基本はみんなで歌っているんですけども、中には難しいところをひとりで歌う人がいます。ソロパートってやつです。

練習のとき、より難易度の高いところや歌い方にチャレンジしようとして、まだうまくいかなくて、悪戦苦闘が声に出てしまう人もいます。

逆に、みんなが歌いやすいように、ということを優先して、あえてワザを抑えめにしながら、余裕っぽく軽く歌うかんじの人もいます。

以前は、後者の人を、歌うまいなぁ、いいよね、と思っていたのですが。

こないだの練習で、後者に心を動かされず、前者の人のほうに大きく心を動かされている自分に気づいたのです。

歌ってる側はそうだけど、聴いている側は違うかも、と思ったりもしたのですが、今はほとんどの人が、受け手であり創り手ですよね(話が飛躍したな)。

いちばんやってはいけないのは、「(ほんとは自分はもっとできるけど)軽く取り組んでます」というそぶりをすることなのではないか。

いや、なかには、ほんとのほんとにうまくて、あえて軽く歌ってたり、書いたりしている人はいる。でも、そこと「手を抜く」の差をつけられるほどにうまくできていること以外は、そうしてはいけない。

前回よりうまくできるようになろう、自己ベストを出そう、と一生懸命に取り組まないと、取り組みたいと思える場所にいないと、やってる意味ないよね、と思うようになりました。

年齢相応に、すごく究めていることがあって、「すごいなぁ、あんな人になりたい、あの先輩みたいになりたい」と憧れられたり尊敬されたりもして、それが自分の「仕事」にもなったりするのは、ほんとうに理想的なこと。

逆に、この年齢にして初めてチャレンジしなければならないことがあって、悪戦苦闘する様子を、周りの人、特に仕事場で若い人とかに見られて、「なんだあれ、自分のほうがぜんぜんうまくできるわ」と思われてるかもしれないのは、なかなかツラい。

私は、すごく究めていることがあるかというと微妙。基本的に何でも不器用なので、できない様子を周りに見られて落ち込むことはしょっちゅう。

でもずっと続けていることはある。そこを見込まれ(?)「慣れていると思うのでやってほしい」と頼まれたり、逆に手伝いを申し出ることがある。

でもそこで、なんていうんだろ、余裕みせて「手伝ってあげる、教えてあげる」みたいになっちゃいけないし、気をつけていないとそういう環境に依存しがちな世代になってきたのではと思うのです。

かといって、あまりに自分の実力不相応な場所に飛び込み、案の定自分だけうまくできなくて、さらに自分が年長だったりして、いわゆる特別扱いしてもらっちゃうような事態も避けたい。

なかなか難しいお年頃ですが、これを避けるのもやっぱり、「この程度でいいや」にしないで、そのときの自分にできる最大限で一生懸命取り組むことしかないのかなと思う。

自分にちょっと無理めなお願いしてくれる場所や人はほんとうにありがたいし、そこでは全然ダメな結果しか出せないの承知であっても頑張ろうと思える人でありたい。

そう思っている人が大勢いて、それでみんな長いつきあいで、みんなで切磋琢磨しながらできる場所は、ほんとにありがたい。

こないだの練習で、軽く歌ってる、ようにみせていたお友達も、本番では、今まで聴いたことない!っていうカッコいいところを見せてくるに違いないのです。

あと、今また音楽でみんなが集まっている場所が楽しい!と思えるのは、配分が「1」だったときに0にしなかった、ギリギリ1で残ってたからかなぁとも思う。

でも、自分のなかで「1」であっても「1」のふるまいをしてはいけないんだよね。「わたし、今ここは全体のなかの1ですから」っていうアピールはしないで、1なりに10出すくらいの雰囲気で。これはなかなか難しい。何を言ってるかわからなくなってきた。

あとね、こちらが「台所も狭いけど、何度か試してるうちに調理方法とか材料の調達を工夫して、かけそば作るのと同じ時間で具を載せたそばを出せるようになりました」って、何度かいろどりのよいおそばを出してお客さまが喜んでいる様子を見て知っているはずなのに、「注文が入ったけど、台所も狭いし時間がないので、かけそば作ってくださいね、かけそばとは具が入っていないそばのことです」って毎回指示してくるような環境にも要注意。

すみません。なかなか書く機会ないからどさくさにまぎれて別の場所のことを書いてますし、でも実は話題はつながっているし、かけそばに失礼。