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つらさを抜けるはじめの一歩は、「つらい」を見ること。

息子が幼稚園に入園してからの、この2ヶ月。
息子の荒れ模様に比例するようにわたしの心は大荒れ…というか『無』に近づいていった。

「幼稚園でがんばっていることを知ってるから」
「わたしは親子の心の育みを学んでいるから」

つらいと思っていることに気づかないふりをして『息子の大荒れを受けとめる、ママ』であろうとした。
ありたかった。

で、最近。気づかないふりをやめました。

「うるさー!」って笑いながら言うこともあれば、「やめてね」って真剣に伝えることもある。
ママだって嫌なものは嫌だし、イライラもする。

そんな当たり前のあれこれを、自分の中で無いものとして『息子の試練を応援する』ためだけに生きるのをやめたんだと思う。
(実際そんなことは出来るはずもなく、無になったりして息子を傷つけたかもしれない。)

自分の中に「大きな声が苦手」「暑い中道端で待つのが苦手」「叩かれたり、理不尽にあたられると腹が立つ」みたいな、見て見ぬふり出来なくもないくらい小さな、でも見て見ぬふりするととんでもなく大きくなる感情たちがいるってことに気づいて、「いるね」って言ってあげたような感覚。

それだけで、少し心が軽くなってきた、今です。

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