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Space #3 車の中

(ジェジュンのエッセイ「Space Seoul」を勉強がてら訳してみました)

スペース1レコーディングルーム、スペース7舞台、スペース5練習室、スペース4MV撮影と進んで、次はスペース3車の中ですな…。
ドキュメンタリー映画「ジェジュン:オン・ザ・ロード」ではジェジュンが運転する車中で監督のインタビューを受けるシーンも多く、印象的だった。
まあ、このエッセイでは自分が運転するのではなく後席に座っているのだが。

7月2日公開決定!!J-JUN(김재중)ドキュメンタリー映画『ジェジュン:オン・ザ・ロード』予告編 - YouTube



긴 여행 끝,
목적지에 무사히 도착했을 때
그 선택이 결코 틀리지 않았다고
말해주고 싶다.


長い旅の果て、
目的地に無事に到着したとき
その選択が決して間違ってはいなかったと
言いたい。

写真に添えられた言葉。


1

決まって、友人でもある目立つマネジャーがエンジンを掛けて私を待っている。車に乗り込むと、昨日はよく寝れたか、など日常的な安否を聞く。すぐに今日の日程がどんな順序で待っているのか聞く。それぞれのスケジュールにどれだけの時間が予定されているのか、すべての日程がだいたいいつ頃終わるのかまで話をするのだが、だいたい3分を超えることはない。わかりやすくて正確な説明だ。一日が始まった。

2
車が動き始める。車の中はエンジンルームから出る低いピッチの響き以外はなんの音も聞こえない。カーナビの案内音声すら無音だ。私の一日を一緒に過ごすマネジャーは歌を聴いていて、ちょっとした会話をすることはほとんどない。彼の好みを尊重するのがよいと思い、特別な理由がなければ音楽を流してくれと頼むことはない。そして後ろの席に一人座り耳にイヤホンを着けて歌を聴くこともない。とりたててお互い話すこともなく、それぞれ同じ空間でただ二人でいるコミュニケーションを断絶する姿勢をとることは、やはり無礼な行動だ。

3
最初のスケジュールはミュージックビデオ関連の決定をいくつかしなければいけないミーティングだ。いろいろなよいアイデアの中から一つだけを選ばなければならない。重要な決定をしなければならないたびに十分に考える時間的余裕が許されない。なぜかわからないが、そうなってしまう。注意深く時間がどれだけあるのか聞いた。必ず「差し障りなく準備するには今日中には決定しなければ」という答えが返ってくる。「これは移動しながらもう一度考えてみて、お答えしてもよろしいでしょうか」と言って締めくくる。車があってよかった。

4
走っている車は外部の視線から完全に遮断された空間を提供する。これは奇妙な秘密っぽさと心理的な安定感を同時に与えてくれる。しばし靴を脱いでいるのもありだ。次の場所に着く前に着ているシャツを脱いて別の服に着替えてもいいかもしれない。どんな秘密めいた話をしても大丈夫だ。といっても「なんでこんなに重要なことを急に決めなきゃいけないんだよ」という愚痴程度だけど、今、ここだけでは、どれだけ長く愚痴を重ねても大丈夫だ。今はお前しか聞くことができないから、いつも寡黙なマネジャーから「そんな話なんだ」との一言を聞けば、かなりの慰めになる。

5
日頃は、腹が立つ、という言葉や表現をうまくできないということを最近になってわかった。生きていれば、楽しさを表現する方法も習ったし、悲しさを表現する方法、残念さや感謝を表現する方法もいろいろ学んだ。しかし腹が立ったときにその感情を表現する方法を教えてくれる人は多くはなかった。少なくとも歌手や俳優として生きていて、人前に立つとき、することではないから。私たちは言語を通して考えているので言葉にできない感情は、うまく感じることができない。たとえそんなことがあったとしても、怒りを出すことができる場所も、ここがほぼ唯一の場所だ。本当にもしもの場合だが、大声で泣きたくなったら、やはり結局は車で行かなければいけないようだ。

6
車内の長い沈黙はだいたいマネージャーのこういう一言で破られる。
「次の場所に5分後に到着だ」
次のスケジュールは車のドアが開いた瞬間から始まる。ドアの外にはカメラと撮影スタッフたちが待っている。幸い直前のミーティングで約束した決定を移動する車の中で出すことができた。おかげで心は軽くなったが明らかに私の表情は疲れているだろう。感情のスイッチを元の状態に戻す時間が5分ある。

7
時速50キロ以上で走っている車に乗っていると、運転者はハンドルと共に同乗者の生殺与奪を握っている。この瞬間だけは運転者が私に対し100%責任を持っているのだ。鮮烈に始まった感情は、たとえ違っていても無意識で全面的に信じなければならないという命令が下りてくるのかもしれない。車を停めるまでは運転者を替えるという選択の余地がないということだ。無事に車から降りるとき、運転お疲れ様という言葉と共にありがとうと言うのは当然だ。マネージャーとアーティストの信頼は、一緒に仕事をする前にもう、ここから始まっているのかもしれない。

8
車が好きだ。運転も好きだ。直接運転するときは、誰かが横にいるよりも一人のほうがもっといい。同行する人により、移動目的によって異なるのだが、純粋に運転するという行為だけならそうなのだ。一人で走らせる車に乗っているとすべての視線から自由になる。家の外でも外部の視線がないという事実は、誰かの期待や願い、ときには責任感から解放され、アクセルとブレーキを切り替え踏むことにだけ没頭し、頭の中をきれいに空にすることができる。逆に運転する行為自体はひたすら反射神経に任せ何かひとつの考えに夢中になって集中できることも可能な空間だ。一人で運転するとき安らぎを感じる。

9
トンネルがとても怖いと告白したことがあった。長いトンネルの中、ランプの照度が思ったより暗いとき息が詰まった、と打ち明けた。入った瞬間、出口が見えない長いトンネルの中にいるのがとても苦痛なのだ。現実の壁の前で無力感でうずくまり恐ろしさに震えている者に、人々は「このトンネルの出口には明るい光が待っているんだ」などと言う。その言葉が慰めにならなかった時間がとても長かったからなのか、当然のことのように話す人たちに対する残念さのせいなのか。共感のかわりに助言しようとする人に対する失望のせいなのか。そうした言葉通り、私が意気地なしなのか。

10
私には、私が行きたい道を選択する自由がある。仮に時間がもう少しかかるとしても、それでいい。私は人生で選択肢がひとつしかないということはない。長い旅の果て、ついに目的地に無事に到着したとき、その選択が決して間違ってはいなかったと言いたい。私の選択なのだから、少しも私が後悔することはないのだから。そのようにエンジンが止まるまで走り続けるということだ。


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