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Space #2 芸能事務所

(ジェジュンのエッセイ「Space Seoul」を勉強がてら訳してみました)

スペース1:レコーディングルーム、スペース:7舞台、スペース5:練習室、スペース4:MV撮影、スペース3:車の中、スペース6:フィッティングルームと進んで、いよいよ最後のスペース2:芸能事務所。ゴールは近い!


우리가 함께 할 수 있다는 한 줌의 자유를 손에 쥔 대가로
아무것도 가진 것 없이 시작했다.

私たちが一緒に活動できるという一握りの自由を手に入れた代価として
何も持たずに始めたのだ。

写真に添えられた言葉

내 삶은 타인과 관계를 맺는 방식으로 결정된다.
작품 하나로 내 삶이 완전히 달라지는 일은 결코 일어나지 않는다.


私の人生は他人と関係を結ぶ方式で決まってきた。
作品ひとつで私の人生が完全に変わるということは決しておきない。

写真に添えられた言葉

<BORN GENE>アルバムの準備とツアーの準備が同時になり、事務所*1へ出る日がいつもより頻繁になった。ふと「会議室はなんでこんなに多くて、机もなんでこんなに多いのだろう」という考えが浮かんだ。さらにそんなに多い会議室それぞれに人々がびっしり座って何かに集中して話をしている。何の話をしているのか興味はあるが、突飛な考えに苦笑がわいた。

自由という単語が一番重要だった時期があった。たかだか数枚の書類の束にビクッとして何もできないという考えで日々息が詰まっていた時期だった。この話を久しぶりに持ち出すのは、ここでCJeSという会社が生まれるとき、どんな姿だったのか話したいからだ。会社の設立メンバーたちと私たち3人が共有した唯一の価値は、アーティストが自由に活動できるということだけだった。そのためか、数年もの間、誰かがこうしようと言ったわけでもないのに、私は契約書を書かなかった。数年前でさえ、私が先に契約書を書くときは、どうですかと注意深く話を切り出した。どういう風に聞いたのかわからないが、私からは簡単な理由だった。所属感や責任感に伴う当然の過程だという確信を聞いたからだ。

CJeSという私の巣は、私たちが一緒に活動できるという一握りの自由を手に入れた代価として、何も持たずに始めたのだ。持っているのは熱情だけだったという話は、成功ストーリーのかっこいいイントロみたいに聞こえるが、実態は小さいワンルームの事務所で机が数個ぽつんと置かれているだけの、みずぼらしく物寂しい光景がすべてだ。その上、事務所は誰もいなくて、がらんとしている日が多かった。代表一人とマネジャー数人で、いろんな業務を処理するので会社に戻る時間がなかったからだ。

会社は最初の数年、絶え間ない試行錯誤の連続だった。互いの仕事がかちあい、誤解が生じ、決して意図したわけではない失敗で顔を赤らめることもあった。何より私がとても難しかった。重心となるべきアーティストが、どこから何をどのようにしたらいいのかわからなかった。その頃も、今でも、私はここの所属というより一部であると考えているので、このように話をする資格ぐらいはあると思う。

その小さい巣が、いつの間にか、これほどまでの規模の会社に成長した。今では見慣れない顔が見慣れた顔よりはるかに多い。誰がどの業務を担当しているか聞くなんて、前には考えられなかった。俳優と歌手部門、またはそれぞれの業務範囲に従って、徹底して分業化されたシステム内では、マニュアル通りの一糸乱れぬ動きだ。最初のワンルーム事務所の光景を覚えていると、それこそ隔世の感がある。満足でもあり、歳月と共に去った人たちの空席を思うと胸にじんとくる。何よりここまでよく持ちこたえてくれた人たちにたいする感謝が一番大きい。その功は、すべてここで自分たちの若さとエナジーを惜しみなく燃やした人たちが享受して当然だ。これはやはり私が会社の所属ではなく一部だから胸を張って言えるのだ。

大衆文化のアーティストたち、特に若くして活動を始めた子たちは、平凡な人間関係というものを学ぶ機会が制限される。当然ながらデビューしたてのときはすべての関係に注意するしかない。最初は挨拶から習う。誰に出会っても反射的に挨拶するよう教えてくれるが、その相手が誰なのか、なぜこのように元気いっぱいに声を出さなければいけないのか説明してくれる人はいない。「誰も信じるな」と面と向かって言う人はいないが、そうしなければならないことが自然にわかってくる。努力に運が伴って人気が出てきたら、周りの人たちの顔色を伺うという、言葉までは申し訳なくなりたくないのだが、誰もきっとそうだろう。多くの友人たちがその関係の変化に慣れ、そのように直面するという話もする。

私はやはり、まっとうな人生の流れの中で自然に体現化する学びを逃して生きてきた人間たちの一人だ。ほとんどの人たちのように学校を卒業し、軍隊に行き、特に就職して組織の生活を経験することができなかった。必ず必要な人生の関係やその関係を維持しながら学ぶ知恵を、少しずつ逃してきたようだ。若いころ早くから流れから外れてしまったことで誰かを恨んでいるということではない。ただ、「自分が足りないのではないか?」と絶え間なく考えながら作り上げた環境で成長してきたことを否定することはできない。

会社に対するやるせなさが滲むのは、私が生きてきて学ばなければならない関係の意味と関係を結ぶ方式まで、ほとんどをここで学んだからだ。自陣の物をすべて降ろし何もないどん底で、人々ががたごとと一緒に過ごした時間が伝えてくれた大切な教えだ。よく整ったシステムの中だったら、これらすべてのことを学ぶにはもっと多くの時間がかかったかもしれない。限りなく傲慢になっていたかもしれない。無数の試行錯誤で、子供のころ数えきれないほど聞いた「なぜ?」という質問の答えが、ここで流れ出て私の中で満たされた。

何より、私の人生は他人と関係を結ぶ方式で決まってきたということを学んだ。多くの人たちが私のような人たちを、才能や努力、その結果も表れる作品を通じて説明する。私が成し遂げたこと、私が出したアルバムと私が作った公演、私が出演したドラマや放送番組で見せた言葉や行動を投影して私を理解しようとする。もちろん、すべてが合っている話だ。それらは明らかに私の一部だ。それは私と作品を理解する方式というだけで、私の人生を理解する方式としては物足りないし不足している。どのような作品が良い評価をされると幸せだし満足できるが、その作品ひとつで私の人生が完全に変わるということは決しておきないのと同様だ。むしろ私の人生を成しているのは、私がそれぞれの瞬間に感じている感情だ。その感情は大部分、関係に由来するものなのだ。

もう一度、私を説明してみよう。私は軍隊で出会った友人たちと酒の席でくだらない冗談を言う。私はミュージックビデオの撮影が差し迫って衣装で頭を悩ませているスタイリストと話しながら一緒に深刻に悩む。私は録音が早く終わらず次のスケジュールの時間に追われてやきもきしているマネジャーを見て釣られて焦る。それらすべての瞬間で私の感情の色が変わり満ちていく。愉快になったり、ありがたかったり、申し訳なくなるのは、私の各部分の和が私全体だということだ。その感情たちは、みな私が結んでいる関係に由来するものなのだ。

私が幸せなら私が結んでいる関係が円満だということだし、私が不便で不幸なら、それはやはり関係に原因を探す。近しい彼らが「そうやって全部準備して生きると疲れない?」と聞くほど、周辺の人たちの面倒を見たくなるのはこのためだ。私は私の両親の子であり、誰かの友人であり、また他の誰かの兄や弟なのだ。この関係が私の感情をつくり、私の情緒を満たし、私を完成させる。

代表、理事、チーム長など肩書で呼ぶより、ヒョン(お兄さん)、ヌナ(お姉さん)と呼ぶ方を好むのは、単に親しく頼もしい呼称だからだけではない。彼らとの関係でもっとしっかりした責任感を約束する私だけの方式だ。代表はいつか代表と呼ばない日が来るかもしれないが、ヒョンやヌナならいつでもヒョンでありヌナだから。何よりもっと多くの感情をこめて共有できるようになるまで、そう呼びたい。

また契約書の話に戻る。契約書は私が私の人たちと一緒に行う約束だ。先に契約書を書こうと言うことは、長い時間を彼らと一緒にしながら、書類は一般的な拘束ではなく、お互いの間の約束だということを学ぶためなのだ。契約の本質は、義務ではなく信頼であり、関係自体であることがわかった。ここでの時間がなければ、永遠に気が付くことができないということだ。


*1 タイトルも含め原文は회사(会社)。日本で言う芸能事務所で、ジェジュンの場合、CJeS Entertainmentを指す。

4月にジェジュンもCJeSを去るという報道が。

ジェジュン、14年間所属したC-JeSエンターテインメントと契約終了?報道に事務所がコメント - Kstyle

[単独] JYJキム·ジェジュン、14年ぶりにシージェスを去る。


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