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Space #7 舞台

(ジェジュンのエッセイ「Space Seoul」を勉強がてら訳してみました)

スペース1はSmall Talk以外は全部訳したのだが、いきなり最終章のスペース7にワープ。来月はツアー参戦だもんね~。


공연에서 가장 행복한 순간은 모든 게 끝난 뒤다.
그리고 '우리 다시 만나자'고 말하는 순간이다.


公演で一番幸せな瞬間はすべてが終わった後だ。
そして「俺たち、また逢おうね」と言う瞬間だ。

写真に添えられた言葉

緊張をやわらげるために足踏み*1をする。35、36、37…何回まで走った? ちょっと曲の順序を考えていたら回数を数えることを忘れていた。別のことを考えないように足踏みをしているというのに。廊下からも足音が走るような速い足取りで動いている。客席がオープンして入場が始まったようだ。楽屋全体にわんわん響いているように感じる。観客たちが席を探すために動いて出る足音だ。ひそひそと交わす声も加わる。ちょっと妙な気分にさせる音だ。耳が感知した音ではなく皮膚が感じた音なのかもしれない。廊下で誰かが「今日の公演は売り切れだ」と言う声が楽屋内に流れ込む。また足踏み
を始める。最初より速度が速くなる。

30分前、10分前、1分前…スタンバイ。ついに登場のキューサインが下され誰かが背中を突いたように私は舞台へはじき出されていく。足がふるえるほどの歓声がどっと沸く。指の先がおぼろげになり頭の中が遠くなる。誰でもいいからはやく世界で一番明るく強い照明を舞台に落としてくれと。この大きな舞台で私が息をすることができる場所はここだけだ。前が全然見えないスポットライトの光の流れの中、ついに視野から観客がみな消える。さあ、始まりだ。

3年ぶりの公演だ。これからどうなるのか予測が難しいパンデミック時代だから、いつまた公演を開催する機会がやってくるのか確信を持つことができない。対面の公演が可能だという政府防疫当局の方針が発表されるとすぐ、急に台湾の日程を押さえた。いざ台湾を押さえてみると、今度の公演で新曲があればいいねという思いが聞こえてきて、どうせなら*2正規アルバムのほうがいいなと思った。公演会場に手ぶらで行きたくないということなのだろう。ヘアスタイルも変え、衣装も新しく買いたくなった。実は相変わらず「ひとつも変わってなくて全部一緒」と言われるのもありがたい。だけど
「さらにかっこよくなったね」という言葉を聞くのをひそかに待っていやしないか。

<BORN GENE>はソウルを皮切りにタイトな日程のアジアツアーに向け慌ただしく作業したアルバムだ。物理的に時間がとんでもなく足りなかった。長い間一緒にやってきたベテランの会社ファミリーでさえ、今度ばかりはどことなく苦労しているように見える。彼らのせいではない。実はだれのせいでもないのだけれど、私が新しいアルバムに収録する新曲をたっぷり歌いたいと欲を出したせいも少しある。どうしようもない。そうしたかったから。

話してもどうしようもない時節だった。他の方法がないので自分で歌を書き公演の演出を引き受けなければならない日々だ。歌う人にとってアルバムを録音し発表することも重要だけど歌を実際に歌う機会はやはりそれほどまでに重要だということを厳しく学んでいく時だった。私が率先して自分で歌を作り、自分で公演を演出しようと言った。私も舞台に立たなければいけないのに同時にメンバーの動線をチェックしなければならなかった。照明やサウンド、LED映像、特殊効果のタイミングを計算しなければならなかった。誰が見ても私の様子は慌ただしくて落ち着かなかった。おかげで公演だけが持つ呼吸と魅力を頭ではなく体で学んだ。孤軍奮闘の末に作った舞台に上がりながらこの空間の大切さを全身で感じた。今になってやっと話せる話だけれど、どれだけ幸せでどれだけありがたいことか。

そのように経験を積んだおかげだ。3年前、最後に行った日本アリーナツアーはほとんどすべての部分で満足できた。セットリストでバラードナンバーとロックナンバーの配置とバランスがよくて、息がよくあった最高のステップが加わり全体的な演出も満足できるものだった。その上、公演前日までそれほど避けたいと思ったダンス曲の舞台までも観客たちの激しい反響に迎えられ胸が一杯になった。舞台で一人立っている状況は常に怖かったけど、今では一人でも充分に補うことができるという確信が芽生えたのも大きな収穫だった。今度のツアーでその確信がどんどん育っていくことを期待している。

これまでの3年間、非対面の公演をしないかというオファーが結構あった。結局一度も進めなかったのは、ファンに対して済まないし残念だと思ったからだった。公演は単に視聴覚的な経験ではないと思っている。観客の入場で、少なくとも私が観客なら公演に行く理由は見て聴くためではなく、体で感じるためだ。ひと目で全部入り切らないスペクタルな舞台に反応し、ベースが泣くたびに風があふれ出る、期待が羽ばたく滅茶苦茶な出力のスピーカーの音に戦慄し、一緒に歌って公演会場のPAのデシベルを圧倒するためだ。同じミュージシャンを好きだという共感の連帯を持つ人たちが集まって、一緒に歓声や体温を交わすために公演会場に行くのだ。ありったけの力で*3叫ぶことで近づいて隣の席の見知らぬ人の肉声を聞き、人々の汗の匂いをかぎ、膝、腰、肩に凝った痛みを感じることも公演の大切な一部だ。「本当にかっこよかった!」という感嘆詞の代わりに、いつもはあまり使わない俗語を交えて歓呼を上げることもできる。どのみち群衆の中に隠れていてあまりにもうるさいので何もわからないのだ。

舞台の上のミュージシャンたちも同じだ。客席から吐き出されるエナジーを受けることができなければ完全に入り込むことが難しいということだ。若い頃、観客なしで事前収録する舞台を数多く経験した上で、公演の舞台に上がっているため、そのテンションの違いが誰よりもよくわかる。観客がいない公演はリハーサルレベルの緊張感を残すことが難しい。

公演は必ず公演会場で直接感じて体験してくださいと言っているけれど、今回のツアーの皮切りであるソウル公演はオフラインとオンラインを並行して開催した。相変わらず不便な入出国状況なので海外のファンたちに配慮しようという言葉に説得されてしまった*4。また、どれだけ変化するかわからない状況とその状況で他の新しい公演環境に備える必要があるという言葉にも同意する以外なかった。そうさ。どんなやり方でも、とりあえずやってみよう。

いつも休みの日には自分が好きなアーティストの公演映像を好んで見ている。最初はただ好きだからつけていたが、だんだん他の考え方をしている自分を発見した。演出ポイントは何か、照明の配置はどうしてそうなったのか、次の曲にどうつないだか、舞台でどのようなパフォーマンスを見せてくれるのか、何を通して観客たちとつながるのかを見ている。画面の中で私が好きなスーパースターが自信と余裕があふれるパフォーナンスを見せてくれる。世界の頂上に立っているような表情で数万の観客たちの称賛を受ける。私は彼らと自分のどこが違うのか比較し、自分が自分の舞台に立つ時、どのようにするかイメージトレーニングをしている。「学校に通っているとき勉強をこれだけやっていれば…」と誰かが背中を叩くような状況だ。職業病だ。

正直、公演を楽しむという言葉を口にはできない。ひたすら幸せだと言う言葉も嘘だ。舞台の後ろで、どの瞬間も神経が逆立ち、舞台の上で完璧にやらなければいけないという脅迫観念に苦しめられる。数百人のスタッフが後ろで私を信じてくれ、数千、数万人の観客が目前で私に期待している。舞台の上で失敗は許されないけど少しでも萎縮することは許されない。

公演をしたとき、どの瞬間が一番幸せかと聞かれれば「私を愛してくださる人たちと直接出会うすべての瞬間」と言うのがふさわしい答だろう。率直に言えば公演がすべて終わった後だ。素敵な食事の席の終わりは修羅場だと思う。食事をすべて終えて後のテーブルの上がどれほど滅茶苦茶になっているかを見て、もてなしがうまくいったののか、口に合ったのかを知ることができる。朝早くからスーパーへ行って買った食材を一日かけて準備し、レシピひとつひとつに集中しながら料理をし、持っている中で一番大事にしている食器に心をこめて盛り付けて出したことはみな、お客様たちがあたふたと食べて片付けたせいで取り散らかしたテーブルを見るためなのだ。ごちそうさまでしたという言葉を聞かなくてもいい。

ばっちりセットした髪は途中であきらめ、メイクも流れ落ち、汗でびしょびしょに濡れたシャツは知らぬ間にボタンが数個なくなっていたなら、間違いなく良い公演だ。舞台の幕が降りるやこれ以上立っている力さえない状況なら、間違いなく記憶に残るほどの満足できる公演だ。公演が終わった後、私を包んでくれた人も皆壊れてしまうよう願う。もつれてしまった髪の毛で公演が終わったなんて信じられない、と脱力し魂が抜けた表情を、心から見てみたい。

公演で一番幸せな瞬間はすべてが終わった後「俺たち、また逢おうね」と言う瞬間だ。より切実な心で叶えられると信じている。


Small talk in LIVE HALL


ライブホールでの他愛もないおしゃべり
エディター:キム・ジェジュン


公演も残りわずか。どう?緊張してる?

う…。ぶるぶる

なんで震えるの?1、2回の公演じゃないのに。

これは公演回数の問題じゃないよ。
演出やセットリストが違えば、まったく違うものになるようだし。
今回もおそらくツアーの最後の公演くらいでやっと慣れるみたいだ。

前は演出までもみなやったじゃない。

ああ、そうだったね。
俺が舞台を作るたびに碁板の模様のように区画を作るので、みんな自分の席に立たなければと文句を言われたね。
踊りながらそのうちに、あいつら*5 どこにでも大騒ぎだから。

今回の公演で特別に気を使ったことはある?

毎回、ファンたちが好きになってくれる何かに苦労して作っているから。人々が好きなことや好きそうなことをどれだけ上手に盛り込んで調和させるかがとても重要だと思っている。興味があるならライブに来てみてください。実は新曲がとても多いのでそれをうまく消化することが一番重要みたい。

新曲をたくさん盛り込んだ?

アルバム<BORN GENE>の曲をめっちゃたくさん歌ったでしょ?ファンたちとは久しぶりじゃん。新しいものを見せてあげたいじゃない。私が欲を少し出しました。練習で死にそう。

ああ、何か他のやってみたい公演があるんだって?

うん。あるよ。
ファンたちも事務所もみなが反対する公演がひとつあるんだけど。
俺、本当にディナーショーを一度やってみたい。
気持ちよく食事をして、お話もたくさんして。
俺、後ででもいいから一度やってみたらダメかな?
ダメ?ほんとに?なんで?

내 볼을 스치는
차가운 바람 소리는
그대가 온 걸까

私の頬をかすめる
冷たい風の声は
あなたが来たのか

「묻고싶다」の歌詞から。写真に写ったノートPCの画面に表示された言葉。

注:
*1
제자리뛰기は足踏みよりも激しくその場で走る感じみたいです。

こんな感じ?

간고등어 코치 홈헬스 제자리뛰기 - YouTube

*2 기왕とは
意味 : どうせ、せっかく、もうすでに
読み方 : 기왕、ki-wang、キワン
漢字 : 既往(旣往)
「이왕、이왕에、기왕、기왕에」は、過去に起きてしまった出来事に対する「どうせ~」過すぎ去さった事や過去のことをいう。「어짜피」は過去や未来に起きる出来事に対する「どうせ~」。実際は、「이왕、이왕、어짜피」を区別なく使う人も多い。

Kpedia

*3 악
1.ありったけの力, 必死,死に物狂いのもがき, やけ.

*4
-고 말다とは
意味 : ~してしまう
<意味>
非計画的、非意図的に:~してしまう

*5 녀석とは
意味 : あいつ野郎、奴読み方 : 녀석、nyŏ-sŏk、ニョソク類義語 :저 녀석、자식、놈、걔、쟁이、쌍놈、걘友達や目下の人に親しみを込めていう愛称。

Kpedia



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