Space #5 練習室
(ジェジュンのエッセイ「Space Seoul」を勉強がてら訳してみました)
スペース1レコーディングルーム、スペース7舞台と進んで、次は練習室ですな…。
1/事実
ダンス練習室は常にエアコンが最大値でつけられている。おそろしげにこぼれる冷たく乾燥した空気で何かを隠さなければいけないからだ。汗の匂い、繰り返す激しい動きで乱れた呼吸、目一杯熱くなった体熱、そして血が粘るまでの緊張感だ。
消されることがない冷たいエアコンの風が、練習室の古びた乾いた床に数多くの練習生の感情を貼り付ける。永遠にデビューもできないかもしれない恐怖、新曲の初舞台前日の不安が、練習室の床にしっかり重ねられている。トレイナーの兄貴たちから激しく叱られたその感情を床に1枚かぶせながら地層をしっかり作っていくのだ。自己破壊的な嫉妬心、自ら線を引いた才能の限界、薄弱になった意思、繰り返される競争に対する幻滅、まわりの期待に応えることができない自責の念…。これらの中のひとつでもうまくいかず滑って転んだら、二度と二度と起きられないこともある。私は運良く避けていったが、残念ながらこうした友人たちもけっこう見た。
最初の事務所に入ったとき、私が使うことができた練習室は地下にあった。窓がないせいで、どれだけ練習したのか、今が夜なのか昼なのかさえわからないところだった。すぐ湿気があふれカビが出るので除湿器とエアコンが24時間回っている。同じ建物の地上には、はるかに設備がいい練習室がもう一つあった。窓から見晴らしがよく外が見え、歩道をゆっくり歩く人たちや、どこかへ向かう車を見ることができる空間だった。特に良いという言うのには難しい感じだった。そのその風景に見入って平凡ながら満足できる印象を想像し、訳もなく焦るときもたまにあったからだ。結局、いつの日からか、私はやはり上階の練習室を使用することができるようになったが、そのときには意味が全然わからなかった。単にその日その日に割り当てられた練習量をこなし、結果を見せなければならないとが重要だったというだけだ。
2/真実
誰かが練習室について尋ねたら、ロマンティックな空間だと、あっさり答える。パジャマ姿で同僚や友人たちが三々五々集まって、冗談を言い合う。誰かがさえない声でしゃべりだすと皆一緒にいじるのだ。逆に私がやられながらくすくす笑うこともあった。
熾烈な競争システムが、自分でも驚くほど日一日と自分を成長させることも覚えている。なにせ歌や踊りの才能を持って生まれた仲間たちが多く、相対的に自分はずいぶん足りないと感じたのだ。彼らの基準で「あのくらい、必ずやろう」と誓った日の記憶は鮮やかだ。完全に息を合わせなければならない振り付けが与えられたら、熟練したメンバーが力不足のメンバーを助けながら、できるまで練習し、さらに練習した。最後に、みんなが完璧に群舞をマスターしたと確信を持ったとき、ほろ苦い達成感は長い余韻を残すのだ。毎日毎日、怖れを打ち消しながらその席で自信をつけていった。みんな一緒にやるから楽しかった。自然にみんなに公平に与えられる時間という贈り物なのか、練習室に対する私の追憶はかなり美化された。それは説明ファクトと違っても真実であることは明らかだ。本当に幸せだったから。
ジャンルを変えた後はバンドと合奏練習する時間が多くなった。各自の音が少しずつバランスを捕まえていく過程の繰り返しだけど毎回、同じということはない。ドラムとベース、ギターと鍵盤、みんなひとつひとつの音色と魅力がはっきりして飽きることがない。お互いの交感の程度によって爆発的な相乗効果も出て限りなく緩んでいく。自己主張が強い音たちが競争し、ひとつずつ譲歩しながら調律される過程は妙なカタルシスを贈る。
3/現実
公演の日取りが確定し、スケジュール・カレンダーに練習日程もひとつずつ上がり始めた。久しぶりに練習室に入った瞬間、最大値でつけられたエアコンの冷風で胸の片隅に大切にしまってあった温かい記憶が消し飛んでいく。ああ、ここは戦争を準備する場所だったよね。ここで生き残ることができなかったら、栄光の勝利どころか戦場に出ることさえできない。美化された記憶の中でファクトがそっと頭を出してにやりと笑う。
現実はもっと残忍になった。今は一緒に戦争を準備する仲間もいない。昔はメンバーたちがみんなで一緒にやったおかげで、舞台で体力を温存することができた。体のコンディションが昔ほどではないことは当然なのだが、今は最初から最後まで一人で舞台を埋めなければならず、分量が残忍なまでに増えてきた。昔に温存していたものを今、取り出して使うことができたらどれだけいいだろう、と無駄なことを考えては虚しく笑えてくる。それでも、その大きな舞台を全部ひとりでやりとげなければならない私の心情をよく理解してくれるスタッフたちがそばにいるからよかった。
歌の練習環境がひときわ厳しい。今回のようにアルバムと公演がぴったりくっついていて、公演のセットリスト中、新曲の占める割合が大きい場合は練習する時間が本当にとんでもなく不足する。以前は家に別のボーカル練習スペースを設けておいたので、不足したときでも活用してきたのだが、最近、新しく引っ越した家ではそれが難しくなった。壁と床が少し薄いのが、こんなにさびしくて悲しくなることなのか。
4/不安
合奏室で練習するたびに、演奏者たちが羨ましく思うことが多い。だいたい演奏者たちの演奏力は体の状態で特別な影響を受けない。風邪を引いても、疲れ気味でも、昔の練習で体に染み込んだ慣性のような熟練した腕前で演奏する。喉が楽器であるボーカルにとっては、とてもうらやましく思わずにいられない。練習で渾身の力を込めて完璧な歌唱をしなければいけない理由はないが、コンディションがよくなくて声がきちんと出なければ、無性に申し訳なく思う。合奏する間中、喉がむずむずして、覚えて置かなければいけないことを見逃しているんじゃないかと神経が逆立つ。
喉という楽器を管理することはとても厄介な仕事に違いない。いつ故障するかと慢性的な緊張の中で生きている。公演が近づいたとき、ぞくぞくして風邪気味だなと感じたら、心臓がどきっとして崩れ落ちる。公演が迫っているほど心配もつられて大きくなるのを防ぐ方法がない。本当につらいことは、私の楽器は運が悪かったり管理がおろそかで故障などしたら痛いということだ。他の楽器は粉々になるほど壊れたとしても、私が痛みを感じるのとは違うじゃないか。
5/妥協
ロックスターたちが歳をとって体重が増え、声がちゃんと出ていない姿を見ることが時々ある。おかしな話に聞こえるかもしれないが、そういう姿は結構かっこいい。彼が若い頃、行く先々で事件事故を引き起こそうとした過去のあるロックスターなら、余計にそうだ。彼の太り過ぎは、他人が想像もできないほど自由に放蕩を尽くした遺産だ。その上、今ままででも、ちっとも後悔したことがなく、ひたすら分別がないという明らかな証拠でもある。相変わらずロックスターらしく生きているということだ。
反対にどれだけ歳をとっても革のスキニーパンツを着こなし、舞台を縦横無尽に駆け回りながら引き裂くような高音を発するロックスターもいる。最初は畏敬の念で聴いていたが、一方で妙に裏切られた感じもする。ずっとどれだけ節制した生活をしてきて、今までどれほど厳格に自己管理をしてきたのか見当がつくということだ。どれほど血がにじむような練習をすれば、私の歳でもあのようなパフォーマンスを見せることができるのかわからない。
前者の人生に子供の頃から憧れてきたが、私は後者の生き方をやり遂げる人間だ。舞台でいるときのように、いつも完璧な姿を見せてあげたいという脅迫感に囚われている。私が誰だか知らしめるために練習を少しでも多くしなければいけない。事実と真実、現実と不安が練習室で出逢い、お互いに妥協して結論を出し、私がしなければならないことを決めてくれる。本当に愛憎の練習室だ。
Small talk in PRACTICE ROOM
練習室での他愛もないおしゃべり
エディター:キム・ジェジュン
練習がとてもきつかったのでは?
仕方がない。時間がとても足りなかったようだし。
準備する時間が結構多くても時間が足りなく感じるもんだ。
でも今回はちょっと違って、本当にうまくやりたい公演だから…。
ものすごく久しぶりじゃない。
一人で練習するのはどう? 少しは慣れた?
まだ少し寂しいよ。前に比べたら面白くない。
練習室を出るとき…なんというか、経験したことはないんだけど
会社勤めのような気分に似てるんじゃないかな。
前はどうだった?
練習室というところは、行けばいつも仲間たちがいるところだったじゃない。
俺たち、めちゃ仲良かったんだよ。単にいつでも適当な恰好で降りてきて
練習して遊んで、練習して遊んで、そんな感じだったから。
今は本当に必要な時だけ来る所になってしまった。
少なくとも強制的にやらせる人はいないじゃない?
ああ…。俺がそれを自分にやらせるから。わかる?
そうなれば終わりがない。生涯、一社員と思ってたのに
今では社長マインドになっちゃったよ。
バンド練習を始めた?
まだだけど、期待して。新曲が多いからちょっと大変そうなんだ。
演奏してくれる人たちが情熱的に練習するので
エナジーが充電される気分だよ。
お前も楽器じゃないか。しっかり管理しなきゃ。酒もちょっと減らして。
そうだね、しっかり管理しなきゃ。でも、酒は…。燃料みたいなもんだよ。
どう、今日、一杯やります?
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